顔を見て話ができなかった頃とやっぱりできない今について
下記ツイートに触発された記事。
「ひとの目を見ながら会話できない」という状況も本人の性格や我儘などではなく、努力ではカバーすることができない、ひとつの症状。顔を見て話すと情報過多となり、脳が適切に処理できず、無理をしている状態だという。今夜の #Nスペ を見るまで、このことを知らなかった。知って良かったと思う。
— 村山嘉昭 (@_murayama) 2017年5月21日
Nスペで放送された発達障害特集で、特徴のひとつである「ひとの目を見ながら会話できない」についての感想のようです。
私が人の目を見て会話していないと気づいたのは、大学でミュージカルサークルでの稽古中。先輩から「目を見ないよね」と指摘されたときだった。
思えばたしかに人の顔を見ないことが多かった。別に見なくても理解に支障はないと感じていたし、むしろ見ないほうが頭に入る気がした。(このあたり、元ツイートでいうところの「情報過多」だったんじゃないかと思う)
しかし、目を見て話を聞くのがマナーだ。当時はいまよりも真面目で素直だった私は矯正せねばとがんばった。
そして気づいた。目を見るの、怖い。胸のあたりがざわざわして、かるく冷や汗がでる。息苦しい。貧血のように意識が遠のく気すらした。
見つめ合うと素直におしゃべりできないというのはこのことか。たぶんちがう。
そんなかんじでかなりの苦労はあったものの、一年くらい練習しているうちに通常会話では目を見られるようになった。相当辛かったけどな!もっとつらい人だったらひきこもりかねないぞ!
……しかし、治ったという感覚すら錯覚だったと私はほどなく知ることになる。
治ってはいないとわかったのは、就職活動をはじめたときだ。具体的には、インターンシップで名刺交換を学んだとき。
どうしても名刺に目がいってしまう。相手の顔に興味がもてない。まだ名刺の字面のほうが心惹かれるものがある。
そして、平気になったと思ったけど至近距離で顔を見るのはやっぱり怖かった。治せなかったのだ。今でも怖い。
結局、現在に至るまで私は人の目をまっすぐみて話はできない。会話を始めるときやよっぽど重要なときはあえて見つめたりもするが、基本的には相手の3メートル後方くらいに焦点をあわせて話している。
相手にとっては顔を見て話しているように見えて、こちらも情報過多で息苦しくならなくていい状態がこれだ。
(人によってはネクタイのあたりを見つめていたりするらしいが、私の場合は本人に焦点が当たってしまうと辛いので距離をずらすほうが向いている)
思えば、私が書く小説は大事な話をするときほど互いの顔を見ないシチュエーションが多い。並んで歩きながらとか、聞き手の背中に向かって話すとか。
本音を知られると死ぬキャラを推してるせいもあるだろうが、生産的な会話は顔を見ないほうがやりやすいと内心思っているのかもしれない。
……ところで、人の目をみて話すのが辛い人って全体の何パーセントくらいいるんだろうね。2割くらいいるんなら、もうマナーから外してしまった方が合理的ではないだろうか。
見つめ合うと素直におしゃべりできないなら、見つめ合わないほうがコミュニケーションはスムーズだ。
余談
私は趣味でTRPGをやっている。それもオフラインセッションだ(そのうちオンセもやってみたい)。
顔を付き合わせて延々5時間とか会話をする遊びなのに、なぜ趣味といえるレベルで楽しめているのか?
おそらく理由はこんなところだろう。
理由1.ゲーム進行に大事な情報は文字ベースで管理されるため、意外と顔を見る必要はない。
理由2.ゲーム中の会話にはほとんどすべて目的がある。最初の自己紹介ですら、名前とゲーム歴とかを伝えるという明確な意義があるので、表情の情報量はそんなに重要ではない。これが世間話に代表されるプリミティブな会話は「会話している」こと自体が目的なので、表情から読み取れる微妙な情報もかなり大事で……なんだその……つらい。
そんなわけで、人の目を見たくない人でもオフラインセッションでTRPGを楽しむことは可能だと思う。見れた方がどうしても好感度は高くなりやすいけど。
君が守った世界のために、僕は君の名を世界から消す
先日めでたくも基本ルールブックが冒険企画局から刊行された。
魔道書大戦RPG マギカロギア 基本ルールブック (Role&Roll RPG)
- 作者: 河嶋陶一朗,冒険企画局,トリゾー
- 出版社/メーカー: 新紀元社
- 発売日: 2017/03/29
- メディア: 大型本
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マギカロギアは、魔法使いになって世界を魔法災厄やヤバイ魔導書や悪い魔法使いから守るゲームだ。
君は修練をつんだ魔法使いなので、多少のことでは死ぬくらいで済むし、死んでも復活できる。
そのかわり、君をこの世界にとどめさせてくれている大切な人――たいていは魔法の使えないただの人間――が深い傷を心や体や人生に負ったり、最悪死んだりする。しかたない。魔法使いは世界に嫌われている。
魔法使いを世界にとどめてくれる人間はアンカーと呼ばれる。その名の通り、この世と魔法使いをつなぐ錨だ。
もしも、もしも魔法使いがアンカーをすべて失ってしまったらそのときは、魔法使いは世界から『消滅』する。
この世に最初からいなかったことになる。どんな記録も消えてしまうし、誰の記憶にも残らない。
魔法使いだけは少し例外で、消滅した魔法使いの記憶を一定期間はもっていることができる。しかしそれもじわじわと薄れていき、いつかは消える。
その猶予期間の間に、魔法使いたちは書物や研究記録から消えた魔法使いの名前を削除する。もし一行でも彼や彼女の名前が残っていたなら、その書物自体がどこかへ消えてしまうからだ(名前の部分だけ空白なんて不自然を、世界は許さない)。
積み上げてきた研究を無にしないために、無用な混乱を防ぐために、魔法使いは消えた同胞の名前を削り取っていく。
近年、魔法使いが消える原因の多くは禁書や書籍卿が引き起こした魔法災厄――世界の危機に立ち向かったときだ。
世界を守るために彼らは消え、残された者は世界のために彼らの名を消す。
……以上、ハリハリがマギカロギアでいちばん好きな世界設定をお届けしました。とてもエモいと思います。
独自解釈混じってるから、公式の世界観は基本ルールブックでご確認ください。
最新リプレイの哲学戦線も面白かったのでみんな読もうな!
マギカロギア リプレイ 哲学戦線 (Role&Roll Books)
- 作者: 河嶋陶一朗,冒険企画局,相変わらず
- 出版社/メーカー: 新紀元社
- 発売日: 2017/01/28
- メディア: 新書
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演劇におけるダブルキャストとレ・ミゼラブル
発端は、舞台版FateGOのキャスト発表。
主人公を公演ごとに女性(ぐだ子)と男性(ぐだ男)に切り替える(=ダブルキャスト)であることがわかったのだが、ダブルキャストという用語が2.5次元舞台勢に認知されていないことに驚いた。
ダブルキャストという単語の知名度が思った以上に低くて震えるなど。
— ハリハリ@ピカボ新刊はBOOTHに (@harimarin) 2017年5月19日
↑のツイートにはゲーム「ダブルキャスト」に関するリプが二つほどついて大変申し訳ない気持ちになるとともに、やっぱり舞台用語のほうの知名度低すぎではと思った。
- 出版社/メーカー: ソニー・コンピュータエンタテインメント
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興が乗って、ダブルキャストの説明と思うところの連投を開始。
以下、ツイートを貼りつつ補足とかを書いていきます。
ダブルキャスト
— ハリハリ@ピカボ新刊はBOOTHに (@harimarin) 2017年5月19日
①二人一役。演劇作品等で一つの役を二人で分けて演じること(幼少期→成人以降など)
②二人の役者が公演ごとに交代で一つの役を演じること(三人以上ならばトリプル〜)
③同名のアドベンチャーゲーム。バッドエンドが怖い。
②のダブルキャストが行われる理由は、(1)役者の疲労を抑え、長期公演を可能にする(2)リピーターを増やすため。役者の違いによるディテールの変化を観たい観客を複数回来させることができる。
— ハリハリ@ピカボ新刊はBOOTHに (@harimarin) 2017年5月19日
ちなみに長期公演のことをロングラン公演と言う。テストにでます。
ダブルキャストの役が多いほど、基本的にはリピーター回数が望める。例えばヒーローとヒロインの二役をそれぞれダブルキャストにした場合の組み合わせは4通りだが、ライバル役もダブルにしたなら8通りになる。
— ハリハリ@ピカボ新刊はBOOTHに (@harimarin) 2017年5月19日
この組み合わせ爆発をかなりエグく利用しているのが東宝系ミュージカル。↓のレミゼラブルのキャスト表を見てくれ。私は爆笑した。https://t.co/OTw3uxI1UA
— ハリハリ@ピカボ新刊はBOOTHに (@harimarin) 2017年5月19日
私がレミゼを観たのは十年前が最初で最後なのだけど、いつの間にかフィルタ機能が公式に実装されていた。適当に四役ほど選んだら一公演しか残らなかった。
— ハリハリ@ピカボ新刊はBOOTHに (@harimarin) 2017年5月19日
ちなみにダブルキャストの役は 9 役 ある。
帝国劇場 ミュージカル『レ・ミゼラブル』(プリンシパルキャスト スケジュール)
レ・ミゼラブルは2012年にヒュー・ジャックマン主演で映画化もされた名作ミュージカル。原作は同名のヴィクトル・ユーゴ―の長編小説。
15年超にわたる物語のためネームド登場人物が非常に多く、ミュージカル化に際して整理されたにもかかわらずプリンシパルキャスト(重要役)は9人。
当作品は東宝ミュージカルのドル箱で、1987年の日本初演以来しばしばロングラン公演を行っている。若手からベテランまで多数の人気俳優をキャスティングできることと、作品自体のファンが多いため毎回動員がすごい。
まあ、リピーターを動員する手法としては穏当な方かもしれない。ランダム入場グッズとかガチャとか握手券に比べると、観られるものと値段が確定しているだけ良心的といえる。
— ハリハリ@ピカボ新刊はBOOTHに (@harimarin) 2017年5月19日
安い席でチケット一枚5000円くらいするけどね。(私がソシャゲで課金できない理由はここにある。S席分のお金を払って推しが引けない可能性があるという意味がわからない)
— ハリハリ@ピカボ新刊はBOOTHに (@harimarin) 2017年5月19日
2017年現在、ミュージカルのチケットはS席13,000円~10,000くらいが相場。最近は前方中央付近の席についてはプレミアムシートあつかいで割増し料金になっていることも多い。
個人的には席の価値を値段に反映するのは良い流れだと思っている。
【クソ計算】
— ハリハリ@ピカボ新刊はBOOTHに (@harimarin) 2017年5月19日
レミゼ、9役がそれぞれトリプルキャストなので、組み合わせは19,683通りでした。
全組み合わせを消化しようとしたら、毎日マチソワ(二公演)やったとして、約27年かかる。
すべてB席(4000円)で通ったら7873万円の課金ですね。
携帯の電卓をつかってぽちぽち計算した。
東宝レミゼ製作スタッフの名誉のため補足すると、レミゼは15年にわたる物語なのですべての登場人物とからむのは主人公のバルジャンのみ。
よって、からみのあるキャラごとの組み合わせであればもう少し容易に全コンプリートできる。たぶん……。
あと実際には推しキャラとか推し役者を中心にチケット取りを考えるはずなので、見た目ほどひどいわけではないです。ひどいけど。
おわりに
この記事は、はてなブログのTwitter貼り付け機能のテストを兼ねています。ログ代わりに使えるかなーと期待して。
結論としては、リプでツリー形式にしてあるツイートは勝手に前後のツイートも埋め込まれてしまってめっちゃ使いづらかった。
すなおにTwitter自体の埋め込み機能使った方が楽ですね。
ブログをはじめた理由
ブログを立ち上げるのははじめてではない。
高校生のころにfc2ブログをつくり書くことがなくて止め、数年後に趣味のブログをやっぱりfc2でつくってそれはそこそこ続いたがだんだんしんどくなって更新がとまり、サーバをレンタルすることに憧れてWordpressに挑戦してデザインが難しすぎて投げ出し、アメブロに手を出してFacebookをさらにゆるふわにしたような空気感に殺されたりしてきた。
ゆえに、このブログもいつまで続くか私自身が大いに疑問である。
あと、はてなブログは下手なエントリをあげようものならどこからともなく怖い論客がやってきて手厳しいコメントで心を折に来るイメージがある。ちょっとわくわくするけどたぶん耐えられない。
さて、あいさつ代わりの当エントリの主題は「私がなぜこのブログをはじめたか」である。
結論から言えば、「私がナルシストだから」というのが答えだ。
現在私がまともに更新できているSNSはTwitterだけなのだが、ときおり観劇や映画の感想を連ツイしては延々それを読み返して悦に入っている。
更新が滞ってはいるが、過去にpixivに投稿した二次小説も読むとにこにこできる。
友人と萌え語りしたLINEも読み返すと楽しい。奴と話していると我ながら面白い主張がよく飛び出す。しかしLINEは読み返しに向かなすぎてしばしば哀しい気持ちになる。
ナルシストなのだ。
私は私の書いた文章が好きで、私の思想感情に興味があり、ゆえに自分の文章を読み返せる手段は広く多いほうがいい。そう思ったので、このブログを立ち上げてみた。
じゃあなんで公開ブログにしてんだよ、と思うかもしれないが、他人から褒められる手段も広く多い方がいいに決まってる。
まとめ
このブログは私が自分の書いた文章を読み返してにやにやするための場所です。