ハリハリのブログ

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魔女を好む男~実写版「美女と野獣」 ガストン考

実写版美女と野獣では、キャラクター造形もアニメ版から様々な改変が加わった。
野獣は教養の高い王子に。モーリスは発明家から芸術家に。ル・フウはひょうきんながら冷静さのある男に。
ベルは全体的に「ぅゎっょぃ」というかんじに。


本作のヴィラン、ガストンも例外ではない。

 

ガストンの変更点はたくさんあったが、一番大きなところは「女の好み」だったと思う。


アニメ版ではガストンがベルを口説く理由は彼女が村一番の美人だから、でそれ以上の理由はない。要するに基準は顔で、中身を見ないことが彼の罪だった。 

 

では、実写版ガストンはどのような女に惹かれるのか。そのヒントは彼が女を口説くことをハンティングに例えていることから類推できる。
ベルにふられて不貞腐れるガストンにル・フウが「ほかにも女の子はいるじゃない」というと、ガストンは次のように答える。

Gaston: A great hunter doesn't waste his time with rabbits.

ガストン:腕のいいハンターはウサギを追いかけたりしないんだ

(引用元:http://www.imdb.com/title/tt2771200/quotes 訳はハリハリ)

 

ここでガストンがウサギに例えているのは村の三人娘である。
お洒落で女らしい振る舞いができる彼女たちは、おそらく村内でかなりランクの高い女子だ(着飾れる=実家に金がある、なので結婚相手としての価値も高い)。それをガストンはつまらない獲物呼ばわりしている。

さて、ハンティングの楽しさとは何だろう。強く賢く粘り強い、挑みがいのある獲物を追いつめて仕留める、そのプロセスではないだろうか。ガストンは難しそうな相手を追いかけて落とすことを楽しみたいのであって、向こうから「抱いて♡」と寄ってくる女はお呼びじゃないのである。

ゆえに村内でもっとも難攻不落な女、ベルはガストンのお眼鏡にかなってしまった。

 

 

ガストンが好む女のパターンは作中でもう一つ示されている。
それは、「未亡人」だ。
モーリスにキレたガストンがル・フウになだめられるシーンで、次のようなやり取りがある。

LeFou: [tries to stops him] Gaston! Stop it. Breathe, think of happy thoughts, go back to the war, bloods, explosions, countless widows.
Gaston: Widows?

ル・フウ: (ガストンをなだめようと)ガストン!落ち着いて。深呼吸して、楽しいこと考えよう。戦争にまた行くとか、血しぶき、爆発、たくさんの未亡人

ガストン:未亡人?
(引用元:http://www.imdb.com/title/tt2771200/quotes 訳はハリハリ)

未亡人もまた、追いかけがいのある獲物になりやすい存在だ。なくした夫を愛していればいるほど難易度は上がる。そこを半ば無理やり口説き落とすのが面白かったのではないかというのは、深読みのしすぎだろうか。

それにしても、ガストンの「未亡人?」の言い方がめっちゃ嬉しそうで気持ち悪いんだ……。邪悪な理由で未亡人が好きなんだなというのがありありとわかる表情。ルーク・エヴァンズみたいなイケメンがああいう顔をしているとまじで怖い。

 

ベルと未亡人、ガストンが好む女にはもう一つ特徴がある。社会的立場が非常に弱いということだ。未亡人は言うまでもないし、ベルも村では新参者で、父親がいなくなれば完全に後ろ盾をなくしてしまう(ガストンが言い放ったとおりに)。
そんな彼女たちがガストンの妻になったらどうなるか。家に閉じ込められ、ノーということは決して許されないまま、ガストンの所有物として一生を終えるのは想像にかたくない(女を閉じ込めようとする男という点で、野獣とガストンは鏡合わせなのだ。ジャン=コクトー版の映画ではよりわかりやすく描かれているが)。
これが三人娘のように実家が安定しているとガストンもあからさまな虐待は控えざるを得ないが、庇護者のいない女にその心配は無用だ。
手ごわかった獲物も、仕留められてしまえば物言わぬ剥製になり下がる。暖炉の上に飾られて自慢の種になる運命だ。
そういえばガストンは終盤、野獣の首を剥製にすると言っていた。生きた剥製のベルと野獣の剥製を両方飾ろうとは、なかなかいい趣味をしている。

 

少し話はそれるが、実写版での大きな変更点に追加キャラクター「アガット」の存在がある。彼女は未亡人で、物乞いをしながら村のはずれで暮らしている。そう、未亡人だ。そしてその正体は、野獣たちと城に呪いをかけた魔女だった。
つまり実写版においては未亡人=アガット=魔女の図式が間接的に成り立つ。

ヒロインであるベルにも目を向けてみよう。彼女は賢く、読書家であり、村中から変わり者あつかいされていて、村の有力な男(校長やガストン)に従わない。
……深読みを承知で言うが、中世の魔女狩りの対象にそこそこ合致する(未亡人はど真ん中だ)。実写版では洗濯機まで発明して村を軽く混乱させたのでますます魔女っぽい。ベル≒魔女という図式も成り立ちそうだ。

 

言いたいことはお分かりいただけるだろうか。
ガストンの好む女は活きのいい、素敵な剥製になってくれそうな獲物であると同時に、魔女の素質をもつ女性でもあるのだ。

そんなガストンの最期が魔女が呪いをかけた城の崩落によるものだったというのは、なかなか趣深いように思える。

 

 

 

余談

吹き替え版では「たくさんの未亡人」が「たくさんの女の子」というセリフになっている。ぜんっぜん意味が変わっちまうじゃねえか!と私は劇場でひそかにキレていた。
未亡人という単語が差別的であり、「寡婦」では聞き取れないというあたりが理由かと推測するが、キャラクター性をゆがめてまでポリコレを守る必要はどこに、と頭を抱える。ポジティブな意味で使っていたならともかく、侮蔑的なニュアンスで未亡人って言ってたんだからむしろそのまま使うべきでは……。