ハリハリのブログ

人に見せても良いと判断した思想感情を記録しておくための保管庫

供給は正義だ、供給こそは正義だ

小学生のころ、友だちのお母さんの知り合いの娘さんが出演しているという小劇団のミュージカルに連れて行ってもらったことがありました。高校生と大学生が主な構成メンバーで、今思えば技量も高かったわけではない(実際、その一年後には解散公演をしていた)ほんとうにただのアマチュア劇団でした。なのに、私はなんだかドはまりしてしまい、二日間の公演でもう一日見られると知るや自分の母親と友人の母親に頼み込んで楽日も観てしまいました。連日で同じ作品を観たのは、いまのところあれが最初で最後です。

劇団四季ファンだった母に連れられて少なくとも当時は日本最高レベルのミュージカルを何本も観てきていたのに、アマチュア劇団が演じたその作品は私を魅了していました。

 

話の筋としては、中世イギリスを舞台にした貴族の青年とジプシー娘の悲恋物語
ヒロインのジプシーが歌い踊るシーンがとにかく素敵で、観てから二週間くらいは思い返してはうっとりとして、家で真似をしながら歌い続けていました。
(あと、当て馬役の貴族娘のヤンデレ具合がすさまじく好みでした。視界が狭い感じがすごくよく出ていた)

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実は、いまでも歌えます。さすがに全曲は無理ですが、ヒロインのメインテーマと1幕終わりのカルテットは完全に覚えてしまいました。


ミュージカルオタでいちおう中高と吹奏楽をやっていたにもかかわらず、私はあまり音楽を耳だけで覚えるのが得意ではありません。そらで歌えるミュージカルナンバーは山ほどありますが、たいていはサントラを擦り切れるほど聞いているせいです。

あの日に観た作品のサントラを私は持っていません。会場で販売はしていたのですが、なにぶん小学生でしたので買えませんでした。かわりに何度も何度も頭の中で思い返し、何度も自分で歌っていました。十五年以上たっても、忘れられなくなるくらいに。
大学サークルで自分がつくったミュージカルナンバーすらそれなりに忘れているのに、二度観て聴いただけの曲をこれほど覚えているのは我ながらおかしな気分です。


話はそれますが、私は物心ついたころから創作・表現活動にささやかながらかかわりつづけてきました。小学生になってからエレクトーン、のちにピアノを習い始め、小学校のクラブ活動でマーチングバンドをやり、中学高校と吹奏楽部で演奏して、大学ではミュージカルをつくり、社会人になって合唱をやり、そしていまは同人小説書きとTRPGプレーヤーをしています。(ちょっと触れただけのジャンルを含めればもっといろいろあります)

楽しいこともたくさんありましたが、私が、とくに十代のころを思い返すと不幸だったのは、自分が認められる技量レベルをあまりにも高く置きすぎていたことでした。白状すれば、演奏会や発表会を「おもしろくない」と思いながらこなしていたのです。


おもしろくない、というのは自分にとってではありません(その側面もありましたが)。お客さんにとって、です。この程度のレベルの演奏はつまらないに違いない、家族や友人に義理で聴かせるのも申し訳ないくらいだ……。それが本音でした。だから、高校になってからは家族を演奏会に招待したことがありません。

だったらもっと努力すればよかったじゃないか、というのは正論ですが、そういう問題でもありませんでした。だって演奏は楽しかったんです。たとえさほど上手くなくても。自己満足のレベルで充足していたのでそれ以上頑張る理由はなく、けれどそこに他者を巻き込むのにはためらいがありました。発表会というものがなければ、私はもっと音楽や芝居をつくることを楽しめたかもしれない、という矛盾めいた気持ちがずっとあります。

受け手のいない表現活動でも表現活動足りえるのだろうか。もし成立するのなら、私は心からそれをやりたい。そう感じてきました。いま私が一番やりたいことは『人に見せない前提の舞踊』です。ただ自分の体を音楽に乗せて動かす、自分と対話するためだけのダンスが存在するならやりたい。鏡のないスタジオが欲しい。一時期はひとりカラオケがその飢えを埋めてくれていましたが、だいぶ前から足りなくなってしまいました。

 

この矛盾をどう扱うかの答えはいまだに出ていないのですが、冒頭に挙げた小劇団のミュージカルについて思い出したことでひとつ、救われたことがあります。

それは、自分が「こんなのつまらない、人に提供するのは申し訳ない」と思っていても、なんかよくわからない理由で好んでくれる人や影響を受ける人がいる可能性はある、ということです。もちろん例の小劇団は真剣におもしろいものを提供しようとしていたと思いますが、まさか十五年たってもあの作品を好きでいる人がいるのはきっと想定外でしょう。

たぶん、世の中にはこういうことがある。私がいままで死んだ目で提供してしまった作品で、なぜか勝手に救われちゃった人がいないとも限らない。受け手がどんなふうに感じるかは、コントロールできない。いい意味でも、悪い意味でも。

それならば、私がこれまで勝手に感じてきた自責の念であるとか、恥ずかしい気持ちなんかは、そろそろ水に流してもいいのかもしれないと思えてきたのです。

もちろん自分が胸を張って提供できるのが(とくにアマチュアなら)一番ですし、そういう割合が自分ではどんどん増えているのは喜ばしいことです。嫌々作らなくちゃいけないときはあるし、やる気満々だったのがしぼんでしまうこともあるし、小手先でやっちゃったなーと自己嫌悪することもありますが……やっぱり供給は正義なのだと思います。人目に触れれば、どこかで何かが起きるかもしれないから。

 

素晴らしい作品を見せてくださった劇団の皆さんにいまこそお礼を言いたくてたまらないのに、劇団名も作品名も忘れてしまったこのポンコツ脳細胞を恨む(たしか作品名は「ジプシー」だった気がするのですが、15年前なのでホームページもたぶん存在してないか残ってないし、そもそもブロードウェイミュージカルに同名のって名作があるから検索に引っかからない)。なので、あの劇団の関係者が目にとめてくれることを願って、ヒロインのメインテーマの歌詞を掲載してこの記事を終えたいと思います。ボトルメールみたいなものです。
関係者の方、もし見たらコメントとかDMとかくださると嬉しいです。

 

棕櫚の木陰に身をうずめて
あの人の声を聞いた
もう私の耳に届くことはないけれど
思い出はいつの日もあざやかに

逢える日は来ないけれど
その希望なしには生きられない
私は歌うわ 美しき日々
もう戻らない日々よ
戻らない人よ