ハリハリのブログ

人に見せても良いと判断した思想感情を記録しておくための保管庫

ハリハリはミニマリストであるか?

友人に「あんまりもの増やしたくないんだよねー」と言ったら「ミニマリストなの?」と訊かれたことがある。
マジで何もない部屋に住んでいるミニマリストをテレビの特集で見たのを思い出しながら、「ああいうのじゃないですよw」と答えた。

が、いまあらためて考えてみると私のモノに対する考え方の根っこはけっこうミニマリスト的だ。

管理運用できないものは捨てる~ハリハリ流整理術 - ハリハリのブログ

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現在の考え方に落ち着いたきっかけ

昔から、物を捨てるのはためらいがないほうだった。年末に自室の大掃除を命じられると誰に教わったわけでもなく不用品を捨てるところから始めるような小学生だった。(母はわりと物を持ちがちなので、もし教わったとしたら父。可能性は低いが)捨てることは好きだった。捨てたぶん、すっきりする感覚が身についていた。

しかしなんだかんだ思い出の品や、あんまり使っていない色付きのペンなんかは何年も何年も持っているほうだった。才能?はあったものの、ミニマリスト的というほどではなかったと思う。

 

変化が起きたのは、私がちょっとした人生の挫折を味わっていたころだった。平たくいえば失業して実家でニートをしていて、暇だった。
毎日タブレットで動画をひたすら見続ける生活。自分自身と親がメンタルを圧迫し続ける日々に、もうひとつ、圧力をかける存在があった。
タンスである。
六段で幅1メートル弱はある大きな木のタンス。昔は弟と共用で使っていたが、そのときは個室をもっていたので私専用になっていた。

そのタンスに、服が入らないのだ。昔は二人ぶんしまえていたのに。
入るには入るのだが、ぎゅうぎゅうと押し込まないと入らない。当然、服をしまうたびに億劫でしかたがなかった。

服を買うのが趣味ならまだわかる。しかし私が服を買うのは多くても一月に一着ていど。タンスがパンパンになるのは、おかしい。

 

暇だった。
動画を見続ける以外のことがしたかった。
そこで私は、タンスとクローゼット、ついでに学習机やその袖机に本棚、自室にあるあらゆる収納の中身をリストアップすることにしたのだ。

 


持ち物のリストアップをしたら

八月の蒸し暑い室内で、黙々とモノを手にとってはパソコンで名前と数をメモしていく。
三時間ほどかかったと思う。

タンスがいっぱいな理由はすぐに判明した。中身の約5割を、中学生以前から持っていた服が埋めていたのだ。当時二十代前半だったので、約十年前の服が入っていたことになる。
原因の一端は、私の体の成長が小学六年でだいたい終わってしまったことにある。13歳から成長期の終わりまで五センチと身長が伸びなかった。十年前の服が、体型だけを考えるなら楽々着れてしまうのだ。

この「着れてしまう」が曲者だった。私は物を捨てるのが好きだったが、捨てるのは「もう使えないもの」だけという無意識のルールがあった。着られる服は、まだ使える。ゆえに、捨てられない。
そして、うちにたくさんあるから、着られるものがあるから、新しい服は買わない、買えない。
三年ほど袖を通していない服が10着はあった。真ん中に大きく「M」と刺繍された、水色のダサいトレーナーは特にかさばっていた。

 

リストアップが終わり、私は水色のトレーナーを両手で目の前に掲げた。
ひとつの問いが形を成そうとしていた。問えば、戻れないという予感があって、なかなかはっきりとした言葉にならなかった。
無意識の葛藤の後、ついに私は訊いた。
「これ、まだ着たい?」
短い問いを待ちきれなかったように、と心が答えた。
「まだ着る?」
欲求ではなく可能性を問うと、ふたたび否が返ってきた。
もう私は気に入りの冬物を何着か持っている。ダサいトレーナーをどうして着ようとするだろう。明日も、来週も、冬が来ても、来年も同じ答えを返す。
それがわかってしまえば、もうするべきことは決まっていた。

私は半透明のごみ袋に、トレーナーをつっこんだ。二枚目、三枚目と、タンスを埋めていた「もう着たくない」衣服を次々に捨てて行った。
間引くような心地がした。幼いころ祖父の家庭菜園を手伝った時に、育ちの悪い部分を切り落としたときの心地悪さと同じだった。未来の収穫のために生きている部分を殺すのと、まだ使えるものを現在と未来の自分のために処分する辛さはとてもよく似ていた。

けれど一着捨てるたびに、私は許されていく気もしていた。気に入らない、自分に合わないものをもう使わなくていいのだという安堵感。肌に合わないモノに囲まれていることがどれだけ不快だったかを捨てて初めて感じた。


捨てて、決めたこと

その日私が出したゴミは45リットルのごみ袋で3袋にもなった。衣服だけでなく、使っていない日用品や、思い出とも呼べない惰性でとっておいた思い出の品も処分した。3袋分のごみが自室にあったことにまず呆然とする。
大量殺戮を受けたタンスはからっぽ同然で、春秋ものにいたってはほとんどゼロになってしまっていた。二か月もしないうちに必要になるものを捨てることにはためらいがあったが(当時は財布に余裕もなかったし)、それよりも着たくないものを置いておく不快感が勝った。

 

久しぶりに目にした、タンスの底板を撫でながら静かに決めたことがある。
これからは着たいもの、使いたいもの、目にしたいものだけを持っていることにしよう。買うときによく考えるのはもちろん、すでに持っているものでも楽しく使えないと思ったら捨てよう。
多すぎて苦しむよりは、少し足りない苦しさを選ぼう。

 


ミニマリストかは知らないが

……というのが、私のはじめての断捨離体験だった。
それ以来、基本的に物を溜め込むことに今日まで来ている。物を買わなかったわけではない。ネイルにハマって一時期は道具をそろえていたし、興味が惹かれれば服も本もCDもゲームも家電もぬいぐるみも買っている。
ただ「無理に長く大切にする」ことはやめたので、この五年で買ったものの多くがすでに手元にない。現在の我が家でもフードプロセッサーとジューサーとヨーグルティアとジャケット一枚が、風前の灯だ。
でも何回整理してもサンホラのCDだけは捨てられない。Neinの箱ほんと場所取るんだけどね!おのれグラサン。

 

物を大切にすることは良いことだ。でも、少なくとも私はたくさんのものを大切にすることはできないし、大事に思えないものに囲まれているのは不幸せだ。
好きではない人と付き合い続けることが不誠実であるように、使わないものを取っておくのも誠実ではない。
いまでも間引く瞬間はつらい。けれどこれからも私は物を捨て、物を得ていくのだと思う。