ハリハリのブログ

人に見せても良いと判断した思想感情を記録しておくための保管庫

ヨガは成長を求めないのかもしれない

ヨガを始めて一か月が経過しました。教室の月会費も更新し、二か月目も通い続けそうです。

頭の中でごちゃごちゃ考えて勝手にイラつきMAXだった日でさえ、一時間がっつりと体を動かすとだんだん頭の中が静かになってレッスン場を出ていくときには平常心になっているのがとても面白いです。これはどんなお稽古事でも似たような効果が得られるでしょうが。

 

今回はひと月ヨガをやってみてふと感じたことについて話そうと思います。
「もしかして、ヨガって実践者の成長を必ずしも意図してないんじゃない?」という仮説です。

 

ヨガの特殊性

ヨガをはじめるきっかけはそれぞれでしょうが、たいていは何かしら目的を持っていると思います。
体力つけたいとか、肩こり直したいとか、メンタルケアしたいとか、痩せたいとか。自分が持っている不調を改善しようとして来るわけですね。
そうなると理想は前回のレッスンより今回のほうが良くなっていること。成長しつづけることです。
前より前屈が深くできるようになったり、ポーズが一段階難しいのにできたり。もし前回よりも悪くなっていたらがっかりした気持ちになります。「集中しなきゃ!」と自分を叱咤するかもしれません。

……が、少なくともヨガにおいては「前回より下手になっていてはいけない」は妥当しないっぽい雰囲気をこのひと月で感じています。
成長し続けること、前回よりも良くなっていることがベストとは限らないんじゃないか、ということです。


私の通っているレッスンの開始時に毎回行われるイントロダクションをご紹介しましょう。

  • 自分のための練習にしてください。
  • 無理をしない。
  • 痛いと思ったらひとつ前に戻る。
  • 周りと合わせる必要はありません。
  • 必要だと思ったら自分の判断で休憩(チャイルドポーズ)を入れてください。
  • インストラクターがアジャスト(正しい位置への調整)をして合わないなと思ったら教えてください。

どうですかこの徹頭徹尾自分を優先しろってかんじ。


実際に練習をはじめると、体の使い方の指示と同じくらいの頻度で自分の体の状態をよく感じろという指示が入ります。

 


ヨガのポーズには明確な難易度調整が可能なものがあります。たとえば立ち木のポーズは、上げている足が高い位置にあるほど難しいとされています。

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それなら、できるだけ難易度高いのをできるのがいいって思うじゃん?どうやらヨガだとそうじゃないっぽいんですよ。
そのポーズで一番集中して深められる難易度こそがベスト。難しければ難しいほど効果が高いってもんじゃないらしい。
高難易度はいまの自分には辛い、ってわかることは、高難易度ができるようになることと同じくらい重要なんです。

 

おそらくヨガってできる/できない、上達した/してないじゃなくて、現在の自分を観察するっていう側面が一番大事なんだろうと思います。もともと瞑想のためにポーズ(アーサナ)をやるらしいので。

『このポーズができない。どうやら腿の裏が固いらしい。呼吸も浅くなっている、少し深くしてみると……あ、ちょっと入った。けどやっぱりできない。できないことを認識した』
『このポーズは楽だ。高難易度パターンも余裕でできる。……けど、気づいたら歯をくいしばっていた。肩も詰まってる。力を緩めると……うあ、苦しいぞ難易度下げよう』

ここまで明確に意識はしてないですが、言語化するとこんなかんじ。延々ポーズとってる間自分を観察して、ポーズの範囲でベストな在り方を探していくのを75分。
(キツいポーズの時は観察する余裕すらなく「あーっあーっ!つらいつらいつら……アッー!」みたいな感じになってることもありますが、それはそれでひとつの反応)

 

今日の自分を追求することと成長し続けることは矛盾する

で、当然ながら人間日々変化していくので、ある日にベストな在り方がその一週間後にベストなんてことはありえないわけです。
先週は最高難易度がちょうどよかったけど、今日は一段階下げたほうが気持ちいい。やろうと思えば最高難度もできるけど、今日はやらない。
そういう判断が許される、むしろ推奨されるのがヨガなんじゃねえかなあと思っているのですよ。

周りの人と比べるなって指導されるとはじめのほうに書きましたよね。先週の自分自身なんて周りの生徒と同じくらい他人じゃないですか。対抗してどうすんだよって話です。

ここまでの話をもとに演繹していくと「昨日の自分よりも今日の自分が優れている必要はない」→「ヨガは成長を目的とはしてない」っていうのが自然な結論に思える。
どの教室も改善や成長を謳うけれど、突き詰めるとそこじゃないんでしょう。誇大広告だとは思わないけどね。中級者くらいまではちゃんと自然に成長曲線作るでしょうし。
自発的な欲求として成長を志すのはアリだけど、ヨガそのものはそれを要求してこない、みたいなイメージです。

 

結果的に改善や成長と見えることがあっても、それはほんとうにただの結果でしかない。しかもその結果すら途中経過にすぎない。今日まで右肩上がりだったことは明日も成長することを保証しない。明日からずーっと劣化し続けることだってありえる。
……ていうのは事実としてあるじゃないですか。修行としてのヨガがそこを想定してないとは思えないし、むしろそのときに対応するためにヨガがあるのだと考えたい。


劣化していく毎日でも「今日の自分はどんなかんじかなー?(´∀`*)」と平常心でポーズとっているのが、それなりに極めた人なんじゃないかなあ。
それってとっても、格好いいなあ。
そんなふうに、超絶ビギナーヨギーニは思っているのです。

 

 

余談

たぶんこういう話ってヨガ書籍をあたれば書いてあるんだろうと思うのですが、自分で新鮮に発見したいのでとりあえず最初の三カ月は関連書籍封印してます。クソ頭でっかち野郎だという自覚があるので、知識入れた瞬間に自分で考えなくなるのは経験済み。
朝ヨガのためにYoginiの太陽礼拝特集号だけ買いました。雑誌買うの久しぶりだったので、めちゃくちゃ広告多いんだなって驚きました。


余談2

私の通ってる教室は生徒間のつながりが最小限なのでとても気楽です。でもレッスン中にキツイポーズが入ると誰も何も言ってないのに「クソつらい!」っていう感情がガッと共有されるのめっちゃ面白いです。趣がある。
TLで同時多発的にフォロワーさんたちが萌え転がっているのをみる感覚に近い。