ハリハリのブログ

人に見せても良いと判断した思想感情を記録しておくための保管庫

チューニングってなんだったんだろう

今朝方、懐かしい夢を見ましてね。
高校の吹奏楽部のメンバーに再会して、合奏をしようってなったんですよ。
それでチューニング(音程合わせ)をまずやるんですが、全員てんでばらばら。ピッチのずれで音がぐわんぐわんしていました(わかる人にしかわからない表現)。
指揮者の子が一人ずつ重ねていくよう指示。私は最後の一人でした。
先頭から一人ずつ重なっていきます。私の耳には微妙にずれて感じたりもしてましたが、指揮者の指摘はありません。
近づいてくるにつれ、私は不安になっていきます。
何年もずっと練習していない。ちゃんとB♭の音を覚えているだろうか。
そのうちに私の番が来て、ええいままよと吹き鳴らし――その場にいた全員が、顔をしかめました。
「ちょっとヤバいよ、ハリハリ」とマジトーンで言われ、いたたまれなくなって顔をうつむける私。心臓がぎゅっとなり、息が浅くなる。

 

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……というところで、目が覚めました。
なんだこの妙にリアルな夢。
私にとって、いまだにチューニングと吹奏楽部のイメージってこうなんだなと朝から悲しい気持ちになってしまいました。

 

うん、もう十年経ってるし時効だと思うのですが、けっこう辛かったんですよね吹奏楽部。とくに練習(メインじゃねーか)。
友だちもできたし楽しいこともあったけど、手放しで「最高だった!充実してた!楽しかった!」とは言えないです。

 

ハリハリと吹奏楽部……合わなすぎ?

harimarin.hatenadiary.com

↑のエントリでちらっと書いた通り、そもそも私は他人にパフォーマンスを見て・聞いてほしいという欲求が薄いです。喜んでもらうために努力するって気持ちが根本的にわかりません。


いま同人活動しているのは自分の萌えを形にしたほうが扱いやすくて楽しいからで、pixivにあげたり本つくったりしてるのは「おすそわけ」に近いです。ついでです。
もちろん読んでもらえたほうが嬉しいけど、ブクマ0頒布数0でもコアの意義は失われないからさしたるダメージではありません(頒布数0は財布にクるからいやだけどね)。

ブログも同様です。はじめてのエントリで書いた通り、ハリハリが自分がどういう人間なのか知るために書いてるブログなので基本的にリアクションは必須じゃないです。ノウハウ記事も半分は自分のために書いてる。

 

そういうタイプの人間に、発表会文化ってあんまり合わないんですよね。
一般的な吹奏楽部はもろに発表会文化です。夏に大会があって、文化祭や地域のイベント等で客演ステージをやらせてもらいつつ、一年の集大成として定期演奏会(3月ごろが多い?)を行うというのが一般的な年間スケジュール。

発表会文化:発表の場があらかじめある→良いものを見せるために練習する
自己欲求優先型:なんか楽しく練習して好きな曲吹いてる→人に見せてみるか!

大人になったいま思うと自己欲求優先型の私と吹奏楽部、相性悪すぎて笑うわ。

 

てゆーか本当にわからないんですけど、発表会文化に適応できる人間はなにをモチベーションにしてるの?評価?得られるかどうかわからない他人からの評価のために頑張れるのって逆に狂気じみてると思うのは私だけか……?
それとも「がんばった自分」という充実感なのかな。それならまだわかるかも。なにも生まない可能性があるという点では自己欲求優先型と同じくらい周りに優しくないけどね。


中高生当時の私にとって悲惨だったのは、私は演奏が上達してもさほどハッピーじゃねえと気づいていなかったことです(聴衆が喜んでもハッピーじゃないことには気づいてた)。だから仮に自己欲求を優先する決断を当時していたら、まず吹奏楽部をやめていましたw
比べるのもあれですが、上手く演奏できた時の喜び<<上手くロールプレイ(TRPG)できたときの喜び ってかんじです。
それで毎日三時間とか練習してたんだからコスパ悪いにもほどがある。

 

でも、真剣には練習してたんですよ。真面目でしたし、なにより……怒られたくないし、恥をかきたくないから。

 

チューニングは闇が深い

ここで冒頭のチューニングの話に戻りましょう。
チューニングとは、演奏参加メンバーで楽器のピッチ合わせをすることです。吹奏楽では通常シのフラット(B♭)で行われます(オーケストラだとラです)。
練習時間は限られていますから、迅速に合うことが望ましいです。そのため大人数が参加する合奏ではあらかじめパート(楽器)別にチューニングをしておくことが慣例になっています。そしてパートでチューニングをする前にも、個人個人でチューニングをしておきます。

それでいざ集まった時にぴったりチューニングが合えばいいのですが……世界はそんなにやさしくありません。
素人集団ですから、気温や気圧や湿度やその日の体調やメンタル具合であっさりチューニングはずれます。ずれるとどうなるか、まずずらしている人が含まれているパートを指揮者あるいはその場のリーダーが特定し、そのパートのみでチューニングをさせます。数度調整してまだ合わなければ、さらに人数をしぼったり、あるいはちょっと合奏会場から出て合わせてこいと追い出されます(ここまでキツイ言い方はされてませんが、要はそういうこと)。

毎回軽度な魔女狩りに遭っている気分でした。もう体はガッチガチでまともに鳴るわけねえって状態でしたねいま思うと。ちなみに音感を後天的につけて、なおかつ下手な人間は自分のピッチが正しいか確信が持てないので、チューニングをやるたびにおびえるはめになります(ハリハリもそうでした)。初心者にいっさいやさしくない……。

チャゼル監督の映画「セッション」をご覧になった方は、モラハラ教師が「ピッチずれてるのは誰だ。お前か?お前か?」ってやってるシーンを思い出してください。あれほどではないですが、あれの軽いバージョンのプレッシャーが毎回かかります。

かなり悪意をこめた描写ですが、あまり上手くない(中途半端にやる気のある)吹奏楽部のチューニングってマジこんなんです。
ちなみに指揮者やリーダーがちゃんと上手い人ならいいのですが、耳がさほど良くない人だと冤罪が発生する可能性もあります。終わらないチューニングは吹奏楽部三大悪夢のひとつです。

 

もっと効率的に楽しくチューニングを使えないもんか

あの現場をはなれて思うことはですね、楽器を持って集合したらいつなんどきであってもチューニングがばっちり合っていなければならない……って前提は捨てたほうが上達するんじゃね?ってことです。
たいして本気じゃない集団なら、チューニングは健康チェックくらいにしておいたほうがたぶんマシです。だって演奏してるうちにどうせずれるし直せないし。なんなら、練習ひと区切りするごとにチューニングさせていかにグッダグダになるかを確かめさせたほうが良い気がする。
初心者でちゃんと音が鳴らせないうちからセント単位のピッチ合わせようとすると悪い癖がつきかねないし。(ずれていることの認識はさせるべきだけど、魔女狩りを見せるのはヤバイ)
ずれてんなーモヤモヤしてんなーっていう状態を味わわせてから、上級生だけにチューニングやらせて一発でパーン!と合ったら格好いいじゃないですか。練習しようって気になりますよ。まあこれは上級生が上手いこと前提だけど。


……まあ、半ば愚痴なんですけど。
なんだったんでしょうね。チューニングって。
いまだに「響け!ユーフォニアム」が怖くて見られないんですよ。トラウマ刺激されそうで。


シゴキ系の部活は影をひそめつつあるそうですが、吹奏楽は密室でやるので暴力はなくてもモラハラは起こしやすい環境かと思います。(私の所属していた部活には幸いにもありませんでしたが、でもちょっとバランス崩したらあり得た話です)
風通し良く。明るくさわやかに楽しく。無理しない。
それがあらゆる部活の常識になったらいいなと心から思う今宵です。

 

余談

吹奏楽をやっていたときからほのかに自覚はあったのですが、深く呼吸しようとすると鳩尾のあたりでつっかえて吸いきれない/吐ききれないという違和感をずっと持っていました。上手くならねーわけだよ。
社会人になって合唱やっても治ってなかったですね。
いまちょっとググってみたら、体が歪んでいるせいかもしれないというのを見て爆笑しています。体が歪んでると楽器演奏もままならない。