ハリハリのブログ

人に見せても良いと判断した思想感情を記録しておくための保管庫

今日も私は差別をしただろう ~キラキラネームとアイドルオタへの視線~

ひとつのことが気になりだすと関連する情報がもりもり集まってくるのはよくある話だ。5月に「パレード」を観てから2度、私は自分の中の差別心を突き付けられる出来事に行き当たった。

 

思えば4月も内面化してしまったミソジニーについて調べていたし、どうやら春クールの個人的テーマは「差別」だったらしい。

 

 

最新の事例は、昨日回ってきたこのツイートを発端にした。

 

 

ツイートを呼んだ私は、しばし強く目をつぶってからリツイートを押した。「やらかしてた……」という思いとともに。
上記のツイートを見るまで、キラキラネームをつける人間は私にとって嘲笑して良い対象だった(つけられた本人は対象ではなかったが)。面と向かって言った記憶はないが、話題にしたことはある。

しかし冷静に考えてみれば、キラキラネームはキラキラしているだけのことだ。難読の名前は迷惑だという主張もあるだろうが、キラキラしていない難読名なんて山ほどある。思えば私の父の名前も初見ではほぼ読めないし、弟の名前も読みづらい。職場の先輩はヴィルヘルムの日本語訳?を無理やり訓読した、渋い系のキラキラネームだ(この人も難読)。

歳をとったときに格好悪いという点にいたっては他人が口を出す筋合いではないし、名が体をあらわさないことなんてキラキラしていなくても山ほどある。麗華という名前で地味な人もいるだろうし、静雄という名前で暴力的な奴もいるだろう。

キラキラネームを叩いていい真っ当な理由は、少なくとも私には思いつかない。変な名前を付けられて傷つく子が出るのを抑制する、というのがいちおう考え付くメリットだが、そもそも名前を笑うこと自体がまっとうではないのだから因果を逆転させた屁理屈にすぎない。

 

このようにちゃんと整理すれば馬鹿にしていい理由なんてひとつもない、つまりキラキラネームの持ち主とその親を嘲笑するのは悪であるはずなのに、私には(そして多くの人にとって)悪を為しているという自覚は全くなかった。キラキラネームでいじめられた人自身も、仕方ないことだと思っている人はいるかもしれない。

これが差別の最高に怖いところだ。加害者が加害者である自覚を持てず、被害者も被害者であることに気づけない。「正当な理由があって」傷つけている/傷つけられているというストーリーを共有してしまう。

 

 

 

二週間前にも、別の差別を私は自覚した。某アイドルグループの総選挙で結婚発表事件があったときだ。

その日、私は3度目のキンプラを観に行って、同席した友人と「速水ヒロは一刻も早く彼女をつくるべき。3か月で別れていいから」という話をした帰りだったので、この世はままならないなあと思ったものだった。

速報時点でのTLは、発表時のメンバーやOGのリアクション、そして彼女を推していた人たちの嘆き、そしてそんな様子を見世物にしているツイートが目立っていた。

「結婚発表」でTwitter検索をかけて、大騒ぎなTLをスクロールしながら私は思った。「結婚をするだけでこんなに罵倒されるなんて、アイドルはなんて可哀そうなんだ。恋愛禁止ってまともなルールじゃない。アイドルオタってのはわがままで、人を人と思わず自分の都合のいい人形くらいに認識しているに違いない。化けの皮がはがれたな」と。

 

しかし、夜が明けて冷静になると私の認識の方がもしかしたら偏っているのでは?と感じ始めた。私は48グループにとって総選挙がどういうものであるかを知らないし、そもそもアイドルを愛するという感覚を知らない。そんな立場の人間が、勝手に自分の価値観に照らしてファンたちを嘲るのは妥当なのだろうか、と。
(落ち着いて情報を整理できたのは、節度あるファンの冷静なツイートのおかげです。心から感謝します)

 

そうして情報を確認していくうちに、私は恐ろしいことに気づいてしまった。

あ、私、アイドルオタクを差別している。彼らの言い分を一方的に割り引いて評価している。

 

私はミュージカルオタだが、俳優オタではない。音楽・脚本・演出を味わいにいくタイプなので、力量が作品に合ってさえいれば中の人が誰でも気にしないほうだ。役者で観に行くということをほとんどしない。
正直なところ、観劇の感想が「○○くん格好良かった♡」しか出てこないようなファンを軽蔑している。俳優の人格と力量を分けて考えられない人を愚かだと思っているし、熱愛報道が出て怒ったり嘆いたりする人たちとは相容れないと感じる。

 

……が、そうした気持ちと、その人たちの意見が妥当か否かは全く別の話だ。わかっていたはずなのに、無意識に私はアイドルオタ(そしてアイドル的な楽しみ方をするミュオタとか声優オタ)の意見は聞くに値しないものと選り分けることがあった。

なにが情けないって、私にはアイドルオタを公言している友人が数名いるのだ。それなのにこの体たらく。心の底から申し訳なく、ヘコみにヘコんだ。

 

 

 

過去の話だが、もう一つ例をあげよう。私がはじめて差別の恐ろしさに触れたときのことだ。

私がまだ大学生だったころ、貧困問題についてのあるルポ(タイトルは失念)を読んだ。著者はホームレスが受けている差別の例として、下記のようなテレビのニュースを挙げていた。

 

公園の砂場に埋められていたガチャガチャカプセルの簡易爆弾によってホームレスが負傷した、というニュース。原稿を読み上げた後、キャスターはこうコメントした。「もし子供が被害に遭っていたら大変なことでしたよ」
……ホームレスが被害に遭ったのは大変ではないのだろうか?

 

この例を読んだ私は背すじの凍る思いをした。キャスターの無自覚に冷酷な発言のためではない。私もついさっきまで、ホームレスの人権をそのほかの市民より軽んじていたことに気づいたからだ。そしていま気づいたということは、例に挙げたキャスターのような発言を、これまで自分がしてきた可能性があるということを意味する。悪いことをしているつもりがなかったのだから、やらかしていたとしても当然まったく覚えていない。それが無性に恐ろしかった。
一部の宗教で、自分が無自覚な罪さえも告白して神に赦しを請うプロセスがある理由がわかる気がした。

 

 

世の中を観察してみると、どこもかしこも無自覚な差別に満ちあふれている。「仲間外れはいけません」と子供に教えながら、「あそこの家は生活保護だから一緒に遊んじゃダメよ」と言う親がいて、「非実在青少年とか頭おかしい」と憤りながら「ドルオタきめえwww」と嘲るオタクがいる。
自分は誰も差別していないと信じていても、それはただ気づいていないだけだ。絶対に、間違いなく私はいまも何かを差別している。そのせいで誰かを傷つけているかもしれない。全知全能でもないかぎり、加害者になる可能性から逃れることは誰ひとりできない。たとえ自分がこの世で一番弱い人間になったとしても。

害を減らすには、可能なかぎり冷静に物事を観察して自分の頭で考え続けることと、気づいたら反省して二度とやらないようにすることくらいで……それはとても辛く、気の滅入る反復だ。まだ見えていないところにある差別が一番ヤバイので、人種信条性別社会的身分または門地で差別をしていないから一安心、なんてことはありえない。捉えることのできた差別をひとつひとつブラックリストに放り込んでいく、一銭にもならない努力をし続けるだけだ。

けれど、外国人をリンチして見世物にしておきながら自分は天国に行けるなんて勘違いをしたくないから、私は頑張るつもりだ。私にとっては、正しい・善いことをしているつもりで醜悪な行為をし続けるほうがよほど怖い。この感覚がどれくらい共有されえるものかはわからないけれど、ひとりぼっちでないといいなと思う。

 

 

 

余談

キラキラネームの中でも「泡姫」とか「心太」みたいなものは抑制を図っても良いと思う。具体的には以下のような感じ。

1.出生届受理時の確認をより細かくする。届け出された氏名と読み仮名を、ブラック名前リスト(「奇妙な名」を理由として改名申立てが受理された名前一覧)と突合するシステムを導入して、引っかかったら口頭で教える。さすがに改名した事例があるとわかったらためらう人もいるだろう。

2.改名申立ての理由が「奇妙な名」の場合は、年齢要件をゆるめる。現行法では、改名の申立ては15歳未満だと法定代理人が代わりに行うことになっている。……ということは、親との関係が悪かったりすると15歳まで待たなければならないということになってしまってどうなのよ、と。中学デビューを考えて、満12歳を理想としたいところ。ただ、さすがに小学生だと戸籍名を変えることの意味を理解するには厳しいかなあ……。あと、理由ごとに要件がちがうのも煩雑になるから実現性は薄そう。

 

まあいずれにしろ、あまり行政が入りこんでくるのも嫌な領域の話だから難しい話だ。