ハリハリのブログ

人に見せても良いと判断した思想感情を記録しておくための保管庫

ケーススタディ☆書きたいところから書く小説技法

前回記事が予想以上に伸びてプルプル震えております、ハリハリです。
1000view/日を初めて突破しました。ありがとうございます!

 

 

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前回は抽象的な説明に終始していましたので、今回は私が最近pixivにあげた小説を例にケーススタディ回といたします。
よろしければ、一度下記リンクから本文をお読みください。理解が深まるかと思います。

あ、黒子のバスケ・霧崎第一の二次創作になりますので、苦手な方はここで戻ってください。

www.pixiv.net

 

 

では、前回ご説明した全体の流れを再掲してから、実例の紹介に入りたいと思います。

一番いいシーンを書く(工程1,2)

オチを書く(工程3)

メインシーンとオチに合わせてプロットをつくる(工程4)

本文を書く(工程5)

推敲をする(工程6~8)

投稿する(工程9)

 

 

 

0.アイディアが思い浮かぶ⇒妄想する

それはハリハリが仕事中にど忘れをしたときにやってきた。
間抜け面でうんうん言いながら思い出そうとしていたときに降りてきた「瀬戸健太郎がど忘れをしたらめっちゃ面白いのでは???」という電波。
すごい困った顔をしながら一生懸命思い出そうとする瀬戸の顔が浮かび、最高にキュートだったので執筆を決定。その日は一日中ハッピーだった。結局ど忘れの内容は思い出せなかったけど。

 

1.いちばん書きたい部分を書く

瀬戸健太郎がど忘れをするシーンをまず書き出す。
ハリハリの場合は情景が動画+ジオラマで思い浮かぶため、適宜脳内で観察をしていく。すると花宮がすっげえ悪い顔をしているのを発見したので、その描写も織り込んだ。


※これ以降引用の体裁で載せている文は、現在アップされている文章と微妙に異なりますが、推敲時に書き足された部分を削除して実際の作業状態に近づけるためです。


「……あれ? あれ、何て言ったっけ」
 一軍のみの自主練習、という名の強制練習後の帰り支度の最中。聞きなれないセリフが、ふいに山崎の耳へ飛び込んできた。
 珍しい言葉ではない。むしろ家でなら山崎の母親だって三日に一度は言っている。しかし陳腐なセリフが陳腐たりえるのは、発言者が常人である場合だけだ。
 山崎は声の出どころへ視線を向けた。
「あー、ど忘れだ。花宮、あれ、あれわかる?」
 虚をつかれたように口を半開きにした花宮真が、目の前の男を見つめているのが視界に入る。
 花宮の前では、IQ160を誇るバスケ部No.2の頭脳の持ち主、瀬戸健太郎が、眉根を寄せ、視線をうろうろとさまよわせていた。何かを思い出せない人間の典型的なしぐさだ。
「えーっと、なんだっけ、あれなんだけど……」
 花宮が呆けていたのは一瞬で、すぐにその唇は半円を描いた。
 気づけば部室にいるレギュラー全員が瀬戸を注視していた。瀬戸には花宮の笑みも周りの視線も目に入っていないようで、手をさまよわせながら海馬を探るのに没頭している。
「なんだっけ、思い出せない。あー、気持ち悪い」
 うめきながら、瀬戸は右手の指先をそろえて喉のあたりにあてる。
「ここまで出かかってるのに――」
「ぶふっ」
 ついに原がふきだした。
 それを合図に、部室が笑い声に包まれる。
「ぶはっ! あーっはっはっはっ!」

 

2.メインシーンからヒントを拾う

上記のシーンから、必要な情報を洗い出す。

  • 日時:練習後。季節はいつでも可。
  • 場所:霧崎第一のバスケ部部室
  • 登場人物:バスケ部レギュラーがほぼ全員居る。主役は瀬戸健太郎。準主役は花宮、視点は山崎弘とする
  • 出来事:瀬戸がど忘れをした。花宮が何か悪巧みを思いついた。残りの部員は爆笑
  • 動機:花宮→他人の不幸は蜜の味。他のメンバー→成り行きのため、動機らしい動機はなし
  • 各キャラの感情:瀬戸→混乱と羞恥。花宮・他の部員→瀬戸をいじめちゃろうと思っている

シーンの性質から、どうみても序盤がふさわしいため、この部分をツカミに持ってくることを決定。

 

3.オチをつける

花宮が悪い顔をしていたため、ど忘れをネタに花宮が瀬戸をいじめる話になるだろうと想像。
⇒ど忘れをした単語当てゲームをさせた挙句、花宮は最初からその単語がわかっていた、というオチを思いつく
⇒前々から瀬戸に言わせたいと思っていた「花宮、きらい」を言わせるチャンスだ!と一人で盛り上がる(深夜、真顔でフラワーロックのように揺れるハリハリが目撃された)

 

上記のような思い付きをもとに、オチの文章を書く。

「あーっもうわかるかよ! ○○とかじゃねえの!?」
「――ヤマ、正解」
 とつぜん目の前に突き出された白い指。
「…………えっ?」
 山崎は瞬きをした。そんな、馬鹿な。
「うあーっ、そうか終業式かあ! なんだよ死ぬほど悩んだー!」
「ひらめくかどうかの差だったな」
 無駄に大騒ぎする原に、無表情でうんうんとうなずく古橋。
「基礎練2倍は回避っ! 助かったぜザキ!」
 松本が山崎の背中をはたく。
 山崎は眉をひそめた。
 正解を導き出した達成感よりも、何かがちぐはぐなかんじが気持ち悪い。まるで山崎のほうがど忘れをしてしまったようだった。
「……花宮」
 絞り出すような、低い低い声。瀬戸がゆらりと立ち上がり、花宮をにらみつけた。この騒動のきっかけをつくった男は、思い出せたことを喜ぶどころか先ほどとは比べ物にならない険しい表情を浮かべている。
「花宮もわかんなかったんじゃ――」
「んなこと、ひとっことも言ってねえだろバァカ」
 小さく舌を出した主将の表情で、山崎は違和感の正体に思い至る。
 そうだ、瀬戸がど忘れをしたのは花宮と会話している最中。会話が中断したのは花宮も瀬戸が何を言おうとしたのがわからなかったから……そう、皆が思い込んでいた。
 だが花宮はとっくの昔に、少なくともクイズ大会が勃発する前から「○○」にたどり着いていて、だからこそ山崎に「正解」と言えたわけで、つまり……瀬戸と、レギュラー全員は、この性悪な部長にからかわれていたのだ。
 瀬戸は黙って床を見つめ続け、花宮はそんな瀬戸をにやにやと見上げていた。廊下から聞こえる雑談が、いやに部室に響く。
 巻き込まれたレギュラーたちは皆、固唾をのんで瀬戸の反応を見守った。
 そして。
「……花宮、きらい」

 IQ160の頭脳がようやく吐き出したセリフは、部室に再度の爆笑を巻き起こしたのだった。

 
この時点ではど忘れした単語にふさわしい言葉が思いついていなかったので、とりあえず「○○」で仮置きし、先に進む。

 

4.プロットの作成

工程3までの時点でわかっていたことをもとに、プロットを作成する。
出ている情報に対して演繹と帰納を繰り返していくのが基本。
たとえば

<演繹>
瀬戸のど忘れ⇒部員爆笑⇒原や山崎が瀬戸をからかいはじめる(ゲス野郎どもだから絶対やる)

帰納
単語当てゲームをやらざるをえなくなった理由は?⇒なにかしらのペナルティ⇒喧嘩?⇒瀬戸がからかわれすぎてキレた?⇒マジでキレちゃうと収拾がつかないので未遂にしよう

上記のような思考を繰り返して、(脳内で)できたプロットがだいたいこんな感じ。
ちなみに、ここに至っても肝心のど忘れした単語は決まっていなかった。


①瀬戸がど忘れをする

②部員が爆笑、瀬戸をからかう(原が率先していぢめる)

③瀬戸がキレて喧嘩になりかける

④花宮が部員をとめ、ど忘れした単語当てを指示する。ペナルティは基礎練2倍

⑤部員たち、必死で単語を考える(推論⇔ヒントの繰り返し)

⑥ザキ、単語を当てる

⑦花宮が最初から単語をわかっていたことが発覚。「花宮、きらい」

 

5.本文を書く

がんばって書く。
とりあえず思いついた端から書いていっても、最終的にカット&ペーストを繰り返せば形になるのでどんどん書いていく。
書いている途中で「単語は『終業式』でいいかな」と思ったため、その前提で本文を書き進めていく。うまくつながりそうだったので本採用。行き当たりばったりがすぎる。

 

6.伏線を補充する&7.描写をブラッシュアップする

本文作成中に「終業式」が話題になるような時期であること=1学期か2学期の終わりごろであることが発覚した。夏と冬どっちのほうが単語の範囲が広そうかなーと検討した結果、冬のほうが書きやすそうだったので2学期ということにする。
その前提で、各シーンに伏線を補充。また、単語当てゲーム部分の緊張感を高めたり、オチの説得力を増すためにいろいろ仕込んだりした。
たしか3周くらい推敲につかった。

ちなみにさきほど工程1で提示したメインシーンを最終版と読み比べていただくと、あきらかに最初に書いたバージョンの方がテンポがいい。必要な情報をメインシーンの中に織り込んでしまったための失敗。
こういうことになってしまうので、工程6(情報補充)と7(ブラッシュアップ)は意識をはっきり分けよう。

 

 

 

工程8以降は単純作業なので割愛。

 

 

以上、拙作「ど忘れ・ぱにっく」をモデルケースにした「書きたいところから書く小説技法」の使い方でした。

クッッッソ適当に書き進めている様子がおわかりいただけましたでしょうか。

いや、本当に文才溢れる人はこんな馬鹿みたいなことやってないとは思うんですが、あがくのであればこれくらい意地汚くやってもどうにかまとまります。
書けるところから書く、大事です。

 

 

 

余談

過去最高にギリギリかつ適当だったのは、花宮の後輩という設定のオリキャラの名前。最終的に「ロキ」というあだ名に決まったのですが、アップする当日までニックネームも本名も決まってなくて、本文を書き進めている間は「仁科」で置いてました。誰だよ。
思いついた直後に急いでそれっぽいエピソードを混ぜ込んでごまかしたのはいい思い出。

 

(↓ロキが初登場する回)

「霧崎第一のゲスな後輩たちの話」/「ハリハリ@黒ステ圧倒的感謝」の小説 [pixiv]

 

五千字以上の二次創作小説が書ける!~書きたいところから書く小説技法~

小説技法の話をしたくなったので、ここ一年ほど私がやっている作業内容をまとめてみました。

 

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目標は五千字前後の二次創作小説を書けるようになること。
想定しているのは、以下のような状況の人たちです。
(1)二次創作小説を書いたことはあるけれど、三千字台くらいのボリュームしか出せない
(2)二次創作小説を書きたいけれど、プロットというものがつくれない
(3)プロットは書けるけど、そこから本文が書けない

 

ざっくりと流れを先にお見せすると、以下のような感じです。

一番いいシーンを書く(工程1,2)

オチを書く(工程3)

メインシーンとオチに合わせてプロットをつくる(工程4)

本文を書く(工程5)

推敲をする(工程6~8)

投稿する(工程9)

 

名付けて、「書きたいところから書く小説技法」です。
それでは、詳しくご説明しましょう!

 

 

1.いちばん書きたい部分を書く(メインシーンの作成)

小説を書きたい!と思ったからには、思い浮かんでいるシーン・情景・セリフその他があるはずです。
一般的には、本文を書き始める前にプロットをつくれと言われますが、そんなのは後回しです。まず、一番書きたいシーンをいきなり書いてしまいましょう。だいたい300~500字が目安です(それ以上書けそうなら、書いてしまってもかまいません)。
このシーンを今後「メインシーン」と名付けます。
現状浮かんでいるアイディアがセリフひとつだったりする場合は、がんばって膨らませましょう。誰が誰にその言葉を言っているのか、言われた側のリアクションは?などを想像すれば、案外するすると行くのではと思います。


ルールとして、この工程で書くシーンはワンシチュエーションにしましょう。
ワンシチュエーションというのは「描かれている場所・時間が移動しない」とここでは定義します。300~500字の間に過去や未来に飛んだり、最初は喫茶店で話していたのに100字過ぎたあたりでいきなり自宅に来たりしない、ということですね。慣れてきたらこのルールは適宜無視して大丈夫です。

まずはこの作業に集中してください。
300字以上書けたらまた会いましょう。




書けましたか?
……素晴らしいっ!
メインシーンの執筆、お疲れ様でした!そして、おめでとうございます!
これであなたは、作品を投稿する権利を得ました。
意味が分からないですか?では、あなたが投稿したいと思っているサイトに出かけて、新着小説の一覧をざっとながめてください。
三ページもめくればあるはずです。文字数が数百文字の作品がひとつやふたつ。

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そう、一番面白いシーンを書いたということは、「面白い」と思ってもらえる可能性のある文章が手元にできたということ。それを投稿してしまえば、あなたが見せたかった最高に萌える(可愛い・かっこいい・面白い)シーンを世界に発信することができます。すでにその権利があります。プロットで挫折していたら、決してできなかったことです。
途中でどうしても詰まってしまったら、いま書いたメインシーンを投稿しちゃいましょう。気が楽ですね。

しかし、今回の目標は五千字くらいの作品をつくることなので、ひととおり喜んだら次の工程に進みましょう。


が、そのまえにひとつ覚えておいてください。
いま書いたメインシーンが、これから完成させる小説の主役です。メインディッシュです。残りのシーンは、メインシーンを引き立たせる脇役です。この先に書くシーンがメインシーンにうまくつながらなかった場合、かならずメインシーンが優先されます。
いま書いたシーンが一番素敵で面白い部分だ、ということを覚えておいてください。

 

 

2.メインシーンからヒントを拾う

さきほど書いたメインシーンをよく観察してみてください。そこには、作品を完成させるためのヒントがつまっています。大きく分けて下記の2点です。


(1)メインシーンが序盤・中盤・終盤のどこにあたるのか
(2)メインシーン成立に必要な5W1H

 


ひとつずつ説明していきましょう。

(1)メインシーンが序盤・中盤・終盤のどこにあたるのか

メインシーンが教えてくれるヒントの一つは、作品全体の構成です。
「起承転結」や「序破急」というやつですね。
私の場合はもっと単純に、序盤・中盤・終盤でとらえています。直感的に言いかえると、「ツカミ・展開・オチ」です。
もちろん、使い慣れている概念があればそれを使ってしまって構いません。とにかく、メインシーンが全体のどこにあてはまるのか、どこに入れればもっとも魅力的かを考えましょう。
個人的には、迷ったら序盤が一番いいと思います。最初に素敵なシーンをもってくるのはセオリーのひとつなので。

 

(2)メインシーン成立に必要な5W1H

300~500字も書けば、そこにはたくさんの情報がつまっています。分析方法はいろいろありますが、ここではわかりやすく5W1Hに沿って分解してみましょう。

  • いつ:季節・時間帯(原作のどの時期にあたるのかも重要)
  • どこで:場所・天候(服装や小物もチェック。たとえばマフラー、傘、帽子)
  • 誰が:最低限登場するキャラ(メインシーンでは登場していなくても、会話文中にでてくるなら要チェック)
  • 何故:キャラの行動の動機
  • 何を:メインシーンで起きる出来事
  • どのように:メインシーン中のキャラの感情(「AがBを殺した」というシーンでも、ゲラゲラ笑いながら殺したのか、涙をこらえながら震える手で刺したのかで全然違う)

ざっとこのような情報をメモ書きで構わないので書き出しておきましょう。次以降の工程でとても重要になります。不明な部分は不明、でもかまいません。
ヒントを拾っている間に、シーンが浮かぶ場合もあると思います。その場合は直接本文として書いてしまうなり、メモ書き程度で残しておくなりしてください。工程4、5で使えるかもしれません(無駄になる可能性もあります)。

 

3.オチをつける(メインシーンが序盤or中盤の場合のみ)

この工程は、メインシーンが終盤に当たる場合は不要です。

メインシーンが序盤or中盤の場合、まずするべきことはオチをつけることです。どう終わるのかを決めます。読後感にもろに影響する部分なので、自信をもって見せられるオチがあると心強いです。
スッと思いつけばいいのですが、思いつかない時は工程2.で書き出したヒントが生きてきます。

たとえばメインシーンが序盤で、AがBへの恋心を自覚するシーンだったとしましょう。
メインシーンから拾ったヒントに「季節は冬」というのがあったとします。そして惚れられたBは高校三年生だったとしましょう。冬、高三とくれば、受験か卒業あたりがキーワードとして思い浮かぶ。じゃあ「卒業式にAがBに告白をする」というのはオチとして良いんじゃないだろうか……といった感じで想像力を駆使していきます。
最高のオチが思いつくと、おそらくシーンが本文を書けるレベルで浮かんできます。そしたら書いちゃいましょう。メインシーンと同様、300字~500字くらいが目安です。もっと書けるなら書いてもかまいません。
書いたら工程2と同様にヒントを拾っておくと、次以降の工程がとても楽です。

 

4.説明するべき情報を整理する(プロットの作成)

3までの過程で、メインシーンとオチが固まりました。この先の工程では、残りの部分の文章を作成していきます。
メインシーン以外の序盤・中盤は、メインシーンとオチに説得力をもたせるための説明をする部分です。どんなに少なくても大小合わせて20点くらいは説明するべきことが一本の小説には含まれています。
たとえばAがBに一目ぼれをする(序盤・メインシーン)⇒AがBに告白をする(オチ)という話ならば、

  • 主要登場人物
  • 主な舞台となる場所
  • 一目ぼれする出来事が起きるまでの過程
  • AがBを好きになった主な理由
  • 恋愛感情が高まる過程
  • 告白をするという決断をした理由
  • 障害になるような事実(性別、年齢etc)

……などなどを説明しなければなりません。

日常生活で複雑な物事を説明するときと同様、小説でもたくさんの情報を伝えるときはその順番や方法が大事になります。計画を立てなければなりません。
しかも、私たちが書こうとしているのは取扱説明書ではなく小説です。エンターテイメントです。ただ説明するだけでなく、面白おかしく伝える必要があります。両方やらなくっちゃあならないってのが小説のつらいところですね。
そこでやっと、プロット(計画書)の出番がきます。

メモ帳でもなんでもいいので雑に書けるものを開き、メインシーンとオチをまず置いたあと、必要な情報を、どのようなシーンで説明していくかを計画していきます。もちろん、シーン全体を最初から最後まで通して読むとひとつのお話として成立していることが必要です。
ワンシーンごとに設定しておくべき内容はやっぱり5W1Hですが、適宜省いてしまってもいいでしょう。最低限誰が何をするのかと、説明される情報がはっきりしていればOKです。

注意することは2点。
1点目。説明シーンは多すぎないほうが良い。工程1でお話ししたとおり、主役はメインシーンです。説明シーンが増えれば増えるほど、主役が埋もれやすくなってしまいます。最低限にしすぎると無味乾燥な小説になってしまいますが、あれもこれもと詰めすぎるよりは、必要な情報が網羅されてればOKと考えたほうがいいでしょう。
また、後工程でお話しする理由により、どうせシーンはふくらみます。

2点目。一番最初のシーンは大事。メインシーンが序盤でない限りは、この工程で序盤がどうなるかが決まるはずです。序盤を「ツカミ」と言い換えたとおり、最初の200文字くらいで読者をつかめるのが良い小説の必要条件です。WEB媒体ならばとくに。
難しいでしょうが(というか私も別にできちゃいませんが)、メインシーンまでガーッと連れていけるくらいの魅力を最序盤で出せるようにプロットを組む努力は非常にコスパがいいのでお勧めです。

 

5.プロットに沿って本文を書く

さあ、いよいよ本番です。プロットに沿って本文を執筆していきましょう。
ルールはとくにありません。がんばって書いてください。この工程は各々のスキルとセンスと努力がすべてです。コツがあるなら私が知りたいくらいです。おもしろおかしく説明をする、という技術はそれだけで本一冊書ける話ですし、ネットにもいろいろヒントが転がっているので各自興味があれば調べてください。

とはいえ、少しでも楽になるヒントを出しましょう。
まず、頭から書く必要はありません。プロットを創っていて「これなら書けそう」と感じたシーンから書いてください。つじつま合わせは後からで大丈夫です。書く順序がばらばらでも空中分解しないためにプロットをつくったのですから、安心して書けるところから書いてください。
そして、ワンシーン書けたら工程2と同じようにヒントを抽出してください。別のシーンを書くヒントになります。
どーーーーーーしても書けないシーンがでてきたら、プロットの修正を検討してください。メインシーンに影響がなければ、より書きやすい形で修正するのは問題ありません。
シーン中にうまく書けない部分がでてきたら「※ここは○○な部分※」とだけ書いてあとから埋めても大丈夫です。私はよくやってます。「※この辺で瀬戸と花宮が頭の良さそうな会話をする※」とか死ぬほど頭の悪いことを書いてます。大丈夫です。
とにかく、ありとあらゆる手段を駆使して一本のまとまりがある本文をつくりあげることに全精力を傾けてください。

誰に聞いてもここがおそらく一番労力のかかる工程だと思います。マジの天才をのぞいてみんな苦しいところですので、がんばってください。

書きあげたら、まずは自分を思いっきりほめてください。お疲れ様でした!
〆切が迫っているときを除き、一度ざっと頭から読み返したら一晩寝てしまうことをおすすめします。そのほうが次の工程がはかどるからです。

 

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6.伏線を補充する

さて、一晩あけたらもう一度本文を読み返してみましょう。
誤字脱字をはじめとして直したいところは山ほどあるでしょうが、まず注目してほしいのはメインシーンとオチに説得力があるか?です。

5までの工程で書いた本文を「草稿」とすると、草稿はたいてい説明不足です。
たとえば失恋したAが自殺をする、という結末だとすると

  • Aがとてつもなく相手を好きであること
  • 自殺をするようなメンタル構造をしていること
  • 外部が止められない状況があったこと

などを説明する必要があります。草稿時点ではそのどこかが抜けていたり、不十分だったりします(とてつもなく好き、とかは表現も難しいですし)。
不十分な点に気づいたら、本文中に補充しましょう。単純な見落とし(場所や時間等)であれば既存のシーンに埋め込んでしまったほうが楽ですが、重たい情報のときはシーンを増やす必要があるかも知れません。うまく調節して追加してください。これがあるので、プロット時点でのシーンは少な目でOKなのです。

メインシーンとオチへの説得力がしっかりできたら、今度はすべてのシーン間できちんと説明が足りているかを確認してください。たとえば中盤にAとBが喧嘩するシーンがあったら、きちんと火種があるか、喧嘩をするような性格をしているという描写があるか、等です。メインシーンやオチほど神経質にならなくてもいいですが、気づいた部分は補充していきましょう。

 

7.描写をブラッシュアップする

これまで聖域としてきたメインシーンにふたたび手を入れるときが来ました。
この工程の内容は単純。主役であるメインシーンと、準主役であるツカミとオチのクオリティを最大限まであげることです。
もてる技術と根性を駆使して最大レベルに読みやすく、面白く、魅力的な文章にしてください。
細かい技術については現状の私の知識では説明できないのですが、無駄な指示語を省くとかリズムやテンポに気を使うとかそういう話です。
ここでするべきことは魅力を増すことです。説明をおぎなうことではありません。工程6とは明確に意識をわけてください。
場合によってはメインシーンに入っていた情報を削る必要も出てくるでしょう。その場合は、別のシーンでその情報を補ってください。
この工程が、作品の「顔」のクオリティを決めます。それなりに苦しいですが、楽しい部分ですので楽しんでこーぜ。


時間があるときは、6~7の工程を何周かするとクオリティが比例して上がっていきます(二週目以降は、メイン、ツカミ、オチ以外のシーンのブラッシュアップもチャレンジしてください)。とくに情報の抜け漏れは、回せば回すほど発見率と埋め込み精度があがります。ドンデン返し系の作品をつくるなら、頑張りどころです。

 

8.最終調整

作品をアップする前の最終調整です。誤字脱字をチェックしたり、!や?のあとにスペースを追加したり、"~。」"みたいになっているのを削除したり、段落頭に一字下げをしたりはここでやります。
タイトルやキャプションも準備しましょう(魅力的なタイトルのつけ方は私が教えてほしいくらいなので、割愛)。

 

9.投稿する

pixiv等お好みの媒体に投稿します。必ず本文のバックアップを手元に残してから作業しましょう。データが飛んだら泣くに泣けません。


これで全工程が終了です。お疲れ様でした!

 

 


以上、全9工程が五千~二万字くらいの小説に対応できる作業工程になります。

最後にあらためて全体の流れを提示しておきます。

一番いいシーン(メインシーン)を書く

オチを書く

メインシーンとオチに合わせてプロットをつくる

本文を書く

推敲をする(情報の補充・ブラッシュアップ・細かい修正と仕上げ)


メジャーな小説技法と一番違うのは、メイン部分とオチをさっさと書いてしまうところです。
理由は上記に挙げた通りなのですが、補足するならば「思いついた最高のシーンってさっさと書きたくない?そのほうがテンションあがらない?」みたいな動機です。いろいろ試した結果、これがいまのところ一番楽でした。

慣れてくるとプロットなしでも一万字くらいならノリで書けるようになります。まあ、頭の中にあるプロットを書き出す手間を省けるというだけですが。

 

投稿数二十数本(+同人誌二冊)のくせに生意気にも小説技法など書いてみましたが、参考になりましたら幸いです。
みんな小説書こうぜ!瀬花をくれ!!!

 

補足1

文字数を増やしたいときは、ツカミとオチの距離を広げるのがおすすめです。
「一目ぼれ→告白」よりも「一目ぼれ→同棲」のほうが距離が遠い、状況の変化が大きいですよね?すると説明することが増えるので、勝手に文字数は増えていきます。労力も増えますが。

 

今日も私は差別をしただろう ~キラキラネームとアイドルオタへの視線~

ひとつのことが気になりだすと関連する情報がもりもり集まってくるのはよくある話だ。5月に「パレード」を観てから2度、私は自分の中の差別心を突き付けられる出来事に行き当たった。

 

思えば4月も内面化してしまったミソジニーについて調べていたし、どうやら春クールの個人的テーマは「差別」だったらしい。

 

 

最新の事例は、昨日回ってきたこのツイートを発端にした。

 

 

ツイートを呼んだ私は、しばし強く目をつぶってからリツイートを押した。「やらかしてた……」という思いとともに。
上記のツイートを見るまで、キラキラネームをつける人間は私にとって嘲笑して良い対象だった(つけられた本人は対象ではなかったが)。面と向かって言った記憶はないが、話題にしたことはある。

しかし冷静に考えてみれば、キラキラネームはキラキラしているだけのことだ。難読の名前は迷惑だという主張もあるだろうが、キラキラしていない難読名なんて山ほどある。思えば私の父の名前も初見ではほぼ読めないし、弟の名前も読みづらい。職場の先輩はヴィルヘルムの日本語訳?を無理やり訓読した、渋い系のキラキラネームだ(この人も難読)。

歳をとったときに格好悪いという点にいたっては他人が口を出す筋合いではないし、名が体をあらわさないことなんてキラキラしていなくても山ほどある。麗華という名前で地味な人もいるだろうし、静雄という名前で暴力的な奴もいるだろう。

キラキラネームを叩いていい真っ当な理由は、少なくとも私には思いつかない。変な名前を付けられて傷つく子が出るのを抑制する、というのがいちおう考え付くメリットだが、そもそも名前を笑うこと自体がまっとうではないのだから因果を逆転させた屁理屈にすぎない。

 

このようにちゃんと整理すれば馬鹿にしていい理由なんてひとつもない、つまりキラキラネームの持ち主とその親を嘲笑するのは悪であるはずなのに、私には(そして多くの人にとって)悪を為しているという自覚は全くなかった。キラキラネームでいじめられた人自身も、仕方ないことだと思っている人はいるかもしれない。

これが差別の最高に怖いところだ。加害者が加害者である自覚を持てず、被害者も被害者であることに気づけない。「正当な理由があって」傷つけている/傷つけられているというストーリーを共有してしまう。

 

 

 

二週間前にも、別の差別を私は自覚した。某アイドルグループの総選挙で結婚発表事件があったときだ。

その日、私は3度目のキンプラを観に行って、同席した友人と「速水ヒロは一刻も早く彼女をつくるべき。3か月で別れていいから」という話をした帰りだったので、この世はままならないなあと思ったものだった。

速報時点でのTLは、発表時のメンバーやOGのリアクション、そして彼女を推していた人たちの嘆き、そしてそんな様子を見世物にしているツイートが目立っていた。

「結婚発表」でTwitter検索をかけて、大騒ぎなTLをスクロールしながら私は思った。「結婚をするだけでこんなに罵倒されるなんて、アイドルはなんて可哀そうなんだ。恋愛禁止ってまともなルールじゃない。アイドルオタってのはわがままで、人を人と思わず自分の都合のいい人形くらいに認識しているに違いない。化けの皮がはがれたな」と。

 

しかし、夜が明けて冷静になると私の認識の方がもしかしたら偏っているのでは?と感じ始めた。私は48グループにとって総選挙がどういうものであるかを知らないし、そもそもアイドルを愛するという感覚を知らない。そんな立場の人間が、勝手に自分の価値観に照らしてファンたちを嘲るのは妥当なのだろうか、と。
(落ち着いて情報を整理できたのは、節度あるファンの冷静なツイートのおかげです。心から感謝します)

 

そうして情報を確認していくうちに、私は恐ろしいことに気づいてしまった。

あ、私、アイドルオタクを差別している。彼らの言い分を一方的に割り引いて評価している。

 

私はミュージカルオタだが、俳優オタではない。音楽・脚本・演出を味わいにいくタイプなので、力量が作品に合ってさえいれば中の人が誰でも気にしないほうだ。役者で観に行くということをほとんどしない。
正直なところ、観劇の感想が「○○くん格好良かった♡」しか出てこないようなファンを軽蔑している。俳優の人格と力量を分けて考えられない人を愚かだと思っているし、熱愛報道が出て怒ったり嘆いたりする人たちとは相容れないと感じる。

 

……が、そうした気持ちと、その人たちの意見が妥当か否かは全く別の話だ。わかっていたはずなのに、無意識に私はアイドルオタ(そしてアイドル的な楽しみ方をするミュオタとか声優オタ)の意見は聞くに値しないものと選り分けることがあった。

なにが情けないって、私にはアイドルオタを公言している友人が数名いるのだ。それなのにこの体たらく。心の底から申し訳なく、ヘコみにヘコんだ。

 

 

 

過去の話だが、もう一つ例をあげよう。私がはじめて差別の恐ろしさに触れたときのことだ。

私がまだ大学生だったころ、貧困問題についてのあるルポ(タイトルは失念)を読んだ。著者はホームレスが受けている差別の例として、下記のようなテレビのニュースを挙げていた。

 

公園の砂場に埋められていたガチャガチャカプセルの簡易爆弾によってホームレスが負傷した、というニュース。原稿を読み上げた後、キャスターはこうコメントした。「もし子供が被害に遭っていたら大変なことでしたよ」
……ホームレスが被害に遭ったのは大変ではないのだろうか?

 

この例を読んだ私は背すじの凍る思いをした。キャスターの無自覚に冷酷な発言のためではない。私もついさっきまで、ホームレスの人権をそのほかの市民より軽んじていたことに気づいたからだ。そしていま気づいたということは、例に挙げたキャスターのような発言を、これまで自分がしてきた可能性があるということを意味する。悪いことをしているつもりがなかったのだから、やらかしていたとしても当然まったく覚えていない。それが無性に恐ろしかった。
一部の宗教で、自分が無自覚な罪さえも告白して神に赦しを請うプロセスがある理由がわかる気がした。

 

 

世の中を観察してみると、どこもかしこも無自覚な差別に満ちあふれている。「仲間外れはいけません」と子供に教えながら、「あそこの家は生活保護だから一緒に遊んじゃダメよ」と言う親がいて、「非実在青少年とか頭おかしい」と憤りながら「ドルオタきめえwww」と嘲るオタクがいる。
自分は誰も差別していないと信じていても、それはただ気づいていないだけだ。絶対に、間違いなく私はいまも何かを差別している。そのせいで誰かを傷つけているかもしれない。全知全能でもないかぎり、加害者になる可能性から逃れることは誰ひとりできない。たとえ自分がこの世で一番弱い人間になったとしても。

害を減らすには、可能なかぎり冷静に物事を観察して自分の頭で考え続けることと、気づいたら反省して二度とやらないようにすることくらいで……それはとても辛く、気の滅入る反復だ。まだ見えていないところにある差別が一番ヤバイので、人種信条性別社会的身分または門地で差別をしていないから一安心、なんてことはありえない。捉えることのできた差別をひとつひとつブラックリストに放り込んでいく、一銭にもならない努力をし続けるだけだ。

けれど、外国人をリンチして見世物にしておきながら自分は天国に行けるなんて勘違いをしたくないから、私は頑張るつもりだ。私にとっては、正しい・善いことをしているつもりで醜悪な行為をし続けるほうがよほど怖い。この感覚がどれくらい共有されえるものかはわからないけれど、ひとりぼっちでないといいなと思う。

 

 

 

余談

キラキラネームの中でも「泡姫」とか「心太」みたいなものは抑制を図っても良いと思う。具体的には以下のような感じ。

1.出生届受理時の確認をより細かくする。届け出された氏名と読み仮名を、ブラック名前リスト(「奇妙な名」を理由として改名申立てが受理された名前一覧)と突合するシステムを導入して、引っかかったら口頭で教える。さすがに改名した事例があるとわかったらためらう人もいるだろう。

2.改名申立ての理由が「奇妙な名」の場合は、年齢要件をゆるめる。現行法では、改名の申立ては15歳未満だと法定代理人が代わりに行うことになっている。……ということは、親との関係が悪かったりすると15歳まで待たなければならないということになってしまってどうなのよ、と。中学デビューを考えて、満12歳を理想としたいところ。ただ、さすがに小学生だと戸籍名を変えることの意味を理解するには厳しいかなあ……。あと、理由ごとに要件がちがうのも煩雑になるから実現性は薄そう。

 

まあいずれにしろ、あまり行政が入りこんでくるのも嫌な領域の話だから難しい話だ。

 

ミュージカル「パレード」感想 ~劇場で私たちは何を観たのか~

あの体験から三週間が経った。三週間“も”なのか“しか”なのかはっきりとしないが、とにかく私が東京芸術劇場でミュージカル「パレード」を観てから三週間。
私が感想を書きあぐねている間に名古屋・大阪公演も無事終わったらしく、おととい6/15に大千秋楽を迎えたとのこと。

(なんかホリプロの公演情報が削除されていたので、代わりに情報サイトのを貼ります。消すの早すぎだろ)

enterstage.jp

 

 

ネットでは「観てから一週間、悶々としてブログが書けなかった」だの「ショックを受けすぎて悪夢を見た」だの、およそミュージカルを観たとは思えない感想がそこかしこにある本作。
私も例外ではなく、「終わったらカフェでスイーツ食ーべよ☆」とか考えていたのに、劇場を出るときには固形物が喉を通らないテンションになっていた。物販でパンフレットとサントラを買う気力もなかったくらいだ(パンフを買いそこねたのは今でも後悔している)

 (↓観劇直後のツイート抜粋)

 

 

 

(以下、作品のネタバレあり。)

 

 

 

  

「パレード」は、1913年にアメリカのアトランタで実際に起きた少女暴行殺人と冤罪事件を題材にとっている。ユダヤ人実業家のレオ・フランクが無実の罪に落とされる過程と、妻とともにその濡れ衣を晴らそうと奮闘するのがストーリーの中心だ。

(↓画像は荒いが、死体の写真があるので注意)
レオ・フランク事件 - Wikipedia

 

 

ミュージカル「パレード」が素晴らしいのは、レオ・フランクを単なる冤罪被害者とは扱わず、アトランタの人々もレオを恐れ盲目的に攻撃するただの愚かな民衆とはしなかったところだ。

 

たとえば、プロローグ。幕が開くと大木の下にひとり青年が佇んでいる。メインストーリーの約50年前、南北戦争に出生していく男の独唱から、この物語は始まる。時は流れ、南軍戦没者記念のパレードで、人々が青年と同じ歌を歌う。左足を失い傷痍兵となったかつての青年とアトランタ市民が、かつてののどかで純朴な暮らしを懐かしみ、「我々はまだ負けていない。故郷のためなら再び行進曲を歌う」と叫ぶ。南部の人々が持つ故郷への強い愛着と、その裏にある北部への憎しみをいやおうなしに感じるシーンだ。

その日、パレードに浮かれる人々の脇を、北部で生まれ育ったユダヤ人、レオ・フランクがすり抜けていく。「ここの人たちには馴染めない。動物園みたいだ。アトランタを故郷とは思えない、北部に帰りたい。南部育ちの妻もユダヤ人らしくない……」と心中でつぶやきながら。

 

この時点で、南部はただの加害者ではなく、レオもただの被害者ではない。互いが互いを差別しあってしまっていることが、序盤でこれでもかと描写されている。

 

トーリーが進むと、ただの悪徳検事かと思われたドーシー検事も、アトランタの人心の安定を考えて証拠の捏造不適切な手法をとっていることが判明するし、裁判官も「早すぎる変化は混乱を招く(から、ユダヤ人のスケープゴートは妥当)」と言うし、黒人奴隷使用人たちは「殺されたのが黒人だったらこんなに騒がれなかったろうにな」と自虐をはじめる。

みんな、事情があるのだ。事情があるとわかってしまうと、神の視点に居る観客すらどの登場人物にも「お前が悪い」と糾弾できなくなってしまう。それなのに目の前で事態はどんどん酷くなっていき、何もできないことに神経がすり減っていく。

 

神の視点にいてなによりも恐ろしいのは、レオに絞首刑が言い渡される原因をつくった人たちは大半が愚かさと軽率さと、そして善意で行動しているのがわかることだった。
ソースの怪しい情報をまき散らして金を稼ぐマスコミ、暴走した復讐心から嘘の証言をする少年、又聞きの又聞きを自分の体験として話す少女、それを頭からうのみにして憎しみを募らせる市民たち……。

 

 

まって、これめっちゃ見たことある。Twitterとかニュースとかで何回も見たことある。
まって、これは昔の外国の話のはずなのに。
これ、私たちのいる現実の話だっけ?
いままさに、私が暮らしているこの国の話だっけ???

 

 

……私が観劇後、どうしてあんなに鬱なツイートを繰り返したかお判りいただけただろうか。
文字で読んでも十分正気が削れるが、より質の悪いことにこれはミュージカルだった。
音楽と照明とダンス、そして劇場という閉鎖空間は、人間の論理を飛び越えてダイレクトに感情へのアクセスを可能にする。論理レベルでも十分辛いのに、感情にまで恐怖や悲しみや混乱を直打ちされたら多少気がおかしくなっても仕方がないだろう。

森新太郎氏が演出した作品を観るのはこれがはじめてだし、演出技術には私は明るくないが、容赦なく観客を没入させて負の感情をVR体験させるのが非常にうまいと理解した。死ぬかと、いや、死にたいと思わされた。
感覚としてはホラー映画に近い。自宅者の恐怖映画を観たあと、静かな自宅にひとりでいるのはなんとなく気が引けるだろう。一晩友だちの家に泊めてもらおうか、とか考えるはずだ。だが残念なことにパレードの恐怖の対象は社会だった。一生身をゆだねなければならないものが、想像以上に信用ならないという感覚を強く植え付けられたのだ。生きていくことに本気で苦痛を感じた。

 

パレードに限らず、トニー賞受賞作は社会問題をテーマに扱う作品が多い。アカデミー賞と同様、楽しいだけの作品は賞を取りづらいシステムになっているオペラ座の怪人とかは頭が軽い方の作品だと思う)
しかし、ミュージカルは映画以上に「娯楽」要素の期待値が高い。たいていの作品は、楽しくキラキラした衣の中に重いテーマを織り込んで訴える手法をとる。どんな傑作でも興行が伸びないとノミネートもされないからだ。だからふつうは、決して、最初から最後まで重油を飲ませるような真似はしない。その点でパレードは完全に異形だ。初演のスポンサーはマジの篤志家か、さもなくば暗い話が大好きだったに違いない。変態め。ありがとう。

 

クソ重い傑作と、腕のある演出家と、ガチの俳優陣ががっぷり四つに組んだ結果、2017年5-6月の東京芸術劇場(そして大阪と名古屋)には濃縮された地獄が生み出された。楽しいひとときを期待して足を踏み入れた観客は、三時間後、目のハイライトを失ってふらふらと出ていく。
しかし外の世界は、先ほどまでステージでカリカチュアされていた地獄そのもの。気が紛れようがない。Twitterとか間違っても見られない。頭の中にはステージの情景が何度もリピートする。
空想にも、現実にも、逃げられない……。

 

これがおそらくパレードという作品と、森新太郎氏の演出の狙いだったのだろうと思う。人間は痛い目に会えば学ぶ。逃げ場がないならなおさらだ。
たとえ深く考える強さがなかったとしても、似たような事態に直面したときにひっかかる棘の役割くらいは果たしてくれる。
いつもなら反射でリツイートしていた指が、止まるかもしれない。無責任に恐怖をあおる報道に、眉をひそめて目をそらせるかもしれない。自分の心にあった醜い思いこみに気づくかもしれない。

 

私がパレードの精神腹パンをくらってから三週間、いまのところの結論はこうだ。
軽率な善意が暴走して悲惨な結果を招かないようにするには、ひとりひとりが……すなわちまず自分が、ごく地味な自制と自省を続ける以外にない。他人と協力したい、自分が間違っていないと言ってほしいと思った瞬間に、暴走のレールは敷かれはじめる。(もちろん、いずれは暴走を制御しながら周りと協力できるようになるのがベストだ。だが、いきなりやる必要はない。危ない)
地味な努力の報酬は、自分が死ぬときに「まあ、やれるだけやったと思う……たぶん」みたいなささやかすぎる自己満足があるだけだ。それでも、善意で誰かを轢き殺すよりはだいぶマシだと、私は思う。他人が石を投げるのを止められないからといって、自分も石を投げていいということにはならないのだ。

 

 

 

 

余談

『パレードを観た人たちが、異口同音に絶賛しながら(劇中のアトランタ市民と同じように)大きな渦に巻き込まれて行ってるように見えたのが一番怖かった』
という趣旨のツイートをみかけた。

まさに!と膝を打った。上で述べたように、観劇中私たちが主に感じていたのは恐怖と混乱であり、それは当時のアトランタ市民と同じ感情といえる。怯えて迷う人間はどのような行動に出るかというと、仲間を見つけ、団結しようとする。可能ならば敵を見つけて排除しようとするだろう。
さすがにパレードを観た直後に攻撃行動をとれるほど愚かな人は見かけなかったが、あからさまなアンチがいたりしたら……石を投げ始めたかもしれないね。

 

 

高田馬場ジョージが可愛いって話と、彼の無邪気な価値基準について

KING OF PRISM -PRIDE the HERO-行ってきたよ!
まだ通常と応援一回ずつしか観てないけど、最高です。あ、キンブレの色順だけ調整していくとより楽しめるかと。青→水色→黄色がスムーズに移行できるとはかどるよ。

 

前回の記事でさんざん喚いたとおり私はヒロ推しなので、うん、もうね、思った以上の形でこう、ね(語彙力喪失)

 


ヒロに関する記事はあと一週間くらい我慢するから(確かめたいことがたくさんあるので)このブログ読んでる人はみんな観に行こうね!!
行こうね!!!!!

 

 

 

 

さて、ここからは高田馬場ジョージを中心としたキンプリ・キンプラのネタバレがあります。
まだ見てない人は観てから来てね!!
またね!!!

 

 

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高田馬場ジョージへの第一印象は、「なんだコイツ」だった。

媚びまくりだし、三下ムーブしかしないし、ショーの出だしの上目遣いがキモイし、空気読まねえしプライドはねえし、コイツ必要か?というのが本音。

 

そう、高田馬場ジョージはキンプラの本筋には不要と言っていい。
法月仁のアレなところを引き立て、シュワルツローズが審査員を買収している描写のために配置されているキャラであり、わざわざネームドにするほどの役割をもっていない。別にこれだけなら、ツルギでもココロでもよかっただろう。

素直な見方をするなら、ジョージは(作れるかどうか未定な)次回作へのシナリオフックとしての要素が強い。ヒロの父親云々やユキノジョウの家同様だ。

 

にも拘わらず、高田馬場ジョージは大変魅力的なプリズムスタァだ。面白いことに、その魅力は公開数日たってから大勢に認知されはじめる類のものだった。
昨夜(6/13)から今朝にかけてTLで急速にジョージについてのツイートが同時多発的に行われた。かくいう私もその一人で、昨晩布団に入ってからとつぜん「あれ、ジョージってかわいくね?」と思いつき1時間ほど入眠ができなかった。おかげでいま、若干ふらつく頭でこのエントリを書いている。

 

いまTLを覗くと、ジョージに目覚めたエリートたちが百人百様の高田馬場ジョージを妄想している様が観測できる。「わかる」から「ちょっと何言ってるかわかりませんね……」まで入り乱れて大変カオスだ。黎明はやはり楽しい。
とくに枕田馬場ジョージ(枕営業してるジョージ)は笑った。わかる。わかるけど実はやってない世界線も魅力的だと思える大変良いミームだ。

 

 

私がジョージを最高にかわいいと感じるのは、価値基準が狂人レベルにシンプルだ、という点だ。

キンプリ・キンプラはプリズムスタァ(及び彼らを取り巻く大人)たちが「俺にとってのプリズムショーとは」を全身全霊の命がけで表現し、競い合い、分かち合う物語だ。
一条シンにとってのプリズムショーは「初めて僕がプリズムショーを観たときのように、キラキラして皆を笑顔にできるもの」だし、速水ヒロにとっては「存在意義かつコウジの才能の表現」のちに「みんなを幸せにできるもの」、仁科カヅキにとっては「FREEDOM」。

では高田馬場ジョージにとってプリズムショーは何なのかというと、「点数・数字で高く評価されること」なのではないかと私は推測している。
買収された審判により不当に高い得点がついても普通に喜んでいるのをはじめとして、ヒロという新たなキングの体感を目撃してなお、シンに「俺の方が点数が上!」とドヤ顔できるのもそうだし、法月仁に鞭で顔をひっぱたかれても全力で笑顔をつくるのもそうだ(ツヴァイテ落ち=評価の下落は本当に嫌なのだと思う)。

アレクがスタジアムを破壊し、タイガが互角の防衛戦を魅せ、カヅキがステージを創造するというショーを超えたミラクルを間近で見ても、「お前ら失格ー!まだ俺が暫定1位ーーーーーー!!!!!」と喜べる神経は並の三下ではない。

描写されていないため確定していないから好き勝手言わせてもらうと、ジョージは「ははーっ!」って言ってない可能性すらある。

常人であれば、結果よりもその過程が大事だという価値観を人生のどっかで育んでくるはずなのに、ジョージにはプロセスを尊ぶという考えがまるっきりないとしか思えない。

 

狂人である。メンタルの構造が人とはかなり違うかたちをしている。

裏でどんな陰謀が進行していても、それが自分の得点に結びつくかぎり(そして敵の得点を減らす限り)悪びれなくごくごく無邪気に「勝てばよかろうなのだジョイ☆」って思ってそうなのだ。俺の名前の横に表示された数字がすべて!!というあまりにシンプルな価値観の持ち主。それが高田馬場ジョージだ。

 

 

 

と、ここまでが昨夜お布団の中で考えたこと。
明けて今朝Twitterをながめていたら「高田馬場ジョージはゴーストシンガー付きの、口パクアイドルである」という情報が飛び込んできた。
口パク自体は公開前から表に出ていた情報らしいが、私は初耳だった。まじかよ、というかんじだ。

杉田智和さん「お手数かけます。」劇場版『キンプリ』“自分で歌わない口パクアイドル”高田馬場ジョージのゴーストシンガーは小林竜之さん! - にじめん

 

いよいよ狂人みが増してきたぞ高田馬場ジョージ。いや、審判買収が平気ならゴーストシンガーくらい別にどうってことないのか……。

まあ、巷で言われているような、「歌がとてもうまい友人(事情があってショーはできない)の歌を広めるために口パクで頑張っている」みたいな殊勝な背景はジョージにはないと私は信じている。仮にそんな知り合いがいるとしても、同情ではなくたんに「俺よりもコイツの歌の方がカラット稼げるジョイ☆」みたいな損得だけでゴーストになってもらったに違いない。(個人の感想です)

 

いずれにせよ、法月仁がジョージをルヰに次ぐスタァとして扱っているのは、この「高得点」に対する欲求と悪びれなさが評価されているのではと思える。記憶ではなく記録に残るショーができるのは、ジョージのようなタイプだ。

皮肉なのは、いまTLが「ジョイかわいいよジョイ」みたいになっているのが表すとおり、彼のシンプルクズさかげんに癒しを感じるファンは、現実にも、そしてキンプリ世界にも一定数いるということだ。
けっこう記憶にも残っているし、これからも高田馬場ジョージはファンを増やし続けて、なんだかんだ大プリズムスタァになってしまいそうだと思う。

 

 ジョージかわいいよジョージ。帽子ふにふにしたい。

もうすぐキンプリ新作(PRIDE the HERO)公開だから速水ヒロの魅力を語る

速水ヒロは私がキンプリで最推しプリズムスタァだ。アイドルとして、Over the Rainbow(オバレ)の一員として、コウジの親友活最初のファンとしていろいろと危なっかしくも魅力的な彼の生きざまに惚れ込んでいる。
今回はそんな速水ヒロについてお話ししよう。
※ちなみに2番目は十王院カズオカケルだ。チャラいふりしてめっちゃいい奴だし死ぬほど不器用そうなところが可愛い。


本題へ入る前に、お手すきの方は「速水ヒロ」で画像検索をしてみてほしい。さわやかイケメンの画像に混じってとんでもないツラが表示されているはずだ。

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やばいツラの速水ヒロはすべてプリティーリズムレインボーライブ(スピンオフ元)当時の様子だ。ヤンホモの名を欲しいままにして、プリリズRLの知名度アップに貢献した。
ちなみにキンプリにもやばい顔は一瞬出てきますが、回想シーンだけなのでご安心ください。

 

 

「pride」について

速水ヒロについて考えるには、まずprideという楽曲について話す必要がある。
prideは速水ヒロのデビュー曲だが、もともとはヒロとコウジのデュオ(Hiro&Koji)のデビュー曲としてつくられたものだった。作詞作曲はコウジ。しかしエーデルローズ(コウジとヒロが所属する事務所)主宰の法月仁は、ヒロが作ったことにした方が箔がつくとして、名義を偽ることを要求。ヒロは受け入れたが、コウジはデビューを放棄してエーデルローズを去った*1

 


さて、prideは矜持・誇り・傲慢などを意味する単語だ。
すなわちコウジが矜持をかけて作ったprideは、ヒロとコウジの誇りあるデビュー曲になるはずだったが、作曲者の名義やデビューの権利とともに傲慢にもヒロがコウジから奪い取った作品である……という構図になっている。
そんなprideをひっさげて華々しくデビューしたヒロがモノローグで言い放ったのが「この曲を一番うまく歌えるのは……俺だ!!」である。見てくれこの死ぬほど悪い顔を(0:50あたり)。

 

 

 

ヒロにとってprideは矜持そのものであり、彼の傲慢さの表れであり、コウジから誇りを奪ったという枷でもある(奪った件については和解がすんでおり、公式でデュオバージョンも発表されているが)。
ヒロにとってprideを一番うまく歌うのは誇りであると同時に、コウジに対する義務でもあるのだ。

 

ここでキンプリを観たことがある方は、エンディング曲「ドラマチックLOVE」の後に流れた次回予告を思い出してほしい。
「prideが、使えない!?」という愕然としたセリフの後、2度キーの上がったprideを歌うルヰのユニセックスな甘い歌声が流れ、「この曲を一番うまく歌えるのは……僕だよ」というセリフがかぶさる。
説明不要。ルヰがヒロからprideを奪ったのだ。コウジとヒロの間で行われた愛憎劇の再現である。
キンプリ初見でルヰverのprideが流れ始めたとき、プリリズRLを観ていない私ですら「これはヤバイ……!」と鳥肌が立ったのを覚えている(私がミュージカル勢だから深読みしたのもある。誰かの持ち歌を他人が歌うのは異常事態に他ならない)。あれこそがキンプリに本格的に沼った瞬間だったかもしれない。少なくとも、あの次回予告がなければプリリズRLを全編見ようとは思わなかっただろう。

親友から奪ったプライドを敵に奪われたヒロはどうするのか……それがキングオブプリズムPRIDE the HEROの重要なテーマだろう。
おそらくカギは、ヒロがコウジとまだ親友だったころに吐露した本心「勝者ではなく勇者になりたい」が握っている。私が知るかぎり、この台詞はカヅキを通してコウジがヒロに説教をするために用いられた(FREEDOM)くらいで、プリリズRL、キンプリ前編を通してまだ回収されていない。今こそがそのときだ。


……と、ここまでがキンプリのみでわかる速水ヒロの魅力だ。以下では、プリリズRLで発見した彼の魅力についてお話ししよう。

 

プリリズRLを通して見つけた魅力

1.アイドルとしての完璧さ

プリリズRL6話のワンシーン。
綾瀬なる(RLの主人公)が工事を探しているうちにヒロファンの真っただ中へ迷い込んでしまう。自分のファンであると勘違いしたヒロはにこやかに応対し、なるがコウジを探していると知ってもあざやかに「彼女のために、架け橋を!」とファンをさばき、なるをコウジの方へ送り出してやった。


このシーン、ヒロのアイドルしぐさが完璧かつ自然で、「ああ、こいつはプロなんだな」と私はヒロに惚れ直した。(まあ、なるが乱入する前はファンサしながらコウジをちらちら見て挑発するし、コウジがなるに曲を作ったと聞いたら即会話に割って入ったりしてたけど)


プリリズRL全編を通して、速水ヒロは仕事中に私情をほぼ表に出さない。素のヒロはかなり精神がゆれやすく、わりとあっさりヤンホモ化し、詰めの甘い陰謀を企て、かと思えば後輩の面倒をよく見たりダンスバトルでためらいなくカヅキを助けたりと、ぐちゃぐちゃなところが大変人間くさい青年だ。
それに対してアイドルとしてのキャラ性はいかなる時でも一貫している。prideの真の作曲者を明かし、謝罪と引退の発表、そして母親への呼びかけをしたときですら、アイドルの仮面は全く崩れていなかった。インタビューなどでも、速水ヒロはみんなのもの、絶対アイドル愛・N・Gの姿勢をいまだに貫いている。


……うん、心配だよね。何が心配って、素の自分よりもアイドルしてる人格の方がきちんと御せているように見えちゃうのがとても危なっかしいよね。
最高です。推せます。

 

 

2.アパートから出ないこと

速水ヒロは人気アイドルにはふさわしからぬボロアパートに住んでいる。そこはかつて母親と二人で暮らしていた部屋であり、母が自分に会いたくなった時にすぐ訪ねてこられるようにわざわざ借りている。そのため、外出時も鍵をかけない。
(再認識したけど、こいつ執着してる相手にかけるコストがマジで天井知らずだな)


ヒロがここまでする母親は、貧乏ながら暖かい生活を共にしたやさしい女性だった……わけではない。息子にぼろぼろの服を着せてパンの耳を夕飯として与え、自分は男と夜遊びをするタイプのネグレクト親だ。ヒロがエーデルローズにスカウトされたときも、厄介払いがでいるとばかりに二つ返事で売り渡している(何らかの事情があった可能性はあるが、きちんと育てる経済的・精神的能力に欠けていたことは疑いない)。
いちおうプリリズ本編最終話付近で、母親はヒロと離れたことを悔やんでおり、テレビを通じたの呼びかけを聞いてヒロに会いに来てくれたという描写はある。……が、それならなぜ2年後(キンプリ時点)もヒロはボロアパートに住んでいるんだ?


あのアパートに住んでいるのは母親を待つためであって、目的が達せられた以上さっさとエーデルローズの寮に住むなり、もっとまともなマンションに引っ越すなりしたほうがいい。トップアイドルが住むには危険すぎる。コウジに飯作ってもらうにも不便だろあそこ、コンロ一口だし。


アパートから出ないという事実は、速水ヒロのなかで母親への複雑な感情が完全には決着していないという証左に思えてならないのだ。
私はPRIDE the HEROをとおしてヒロがアパートを出る決意をしてくれることを切に切に願っている。信じているぞ菱田監督!エイベックス!(エイベックスは関係ない)

 

※↓アパートから出てほしすぎて思わず書いたヒロべる小説

www.pixiv.net

 

 

 


以上が私の最推しプリズムスタァ、速水ヒロの魅力です。
間違いなく彼がガンガン活躍するであろうKING OF PRISM -PRIDE the HERO-の公開は今週末6/10(土)。
みんなヒロを応援してくれよな!!

 

kinpri.com

 

*1:

キンプリの回想シーンでのこのエピソードは、時系列がはなれたシーンをうまく組み合わせることで法月のキャラ付けも強化するという凄技を披露している。テレビ放送では、「大事なのは格ぅ↑」はHiro&Koji解散のときではなく、プリリズRL本編時間の別シーンで行われた

キンプリの思い出

速水ヒロモチーフのiPhoneケースが届いた。上品な黄色の薔薇(ヒロのトレードマーク)が全体にプリントされていて、オタグッズながら普段使いしやすい。さすがのSuperGroupiesだ。内側はデニム風の布で作られており、オバレを結成して以降の肩の力が抜けたヒロを思わせる。

 

 

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これをもって、一年ほど使い込んでいたおそ松さんスマホケースはいったんお役御免となる。二期が始まったらまた使い始めるかもしれないけど。(この松ケースもめっちゃ可愛くないですか?)

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キンプリという単語は聞いたことがある人も多いだろう。2015年末から2016年の初め頃、わけのわからない流行り方をしたアレだ。

 

 

 

togetter.com

私もノーマークからキンプリ沼に落ちたひとりだ。裸体の男五人がギリシャ風の会談に座っている前売り券のチケットがTwitterのTLを流れていって失笑したのを覚えている。

しかしあんまりにも意味不明なレポが上がり続けるので、1月末についに観に行ってしまった。思い返せばマッドマックスFRも完全に同じ流れで劇場に足を運んだ気がする。我ながらちょろい。

 

「いきなり応援上演はないだろ(まあ、二回目があるとも思えないけどね)」そんな甘い見通しで、私は通常上演のチケット1,300円を購入し、劇場のドアをくぐった。

 

 

半笑い。

呆然。

爆笑。

大爆笑。

呼吸困難。

ひとときの安らぎ。

ヒロ様……。

興奮。

混乱。

悪いと思いつつ失笑。

とつぜんの涙。

キンプリはいいぞ。

 

初見時の私の心境はこんなかんじで変遷していった。不安定すぎだろ。

たとえが適切かはわからないが、テロに巻き込まれてもこんなに混乱しないんじゃないかってくらい、何が起きているのか認識できない70分だった。通常上映にしたのを心から後悔したのはよく覚えている。笑いこらえるのが厳しすぎて本当に死ぬかと思ったぞ……!

 

最期から二つ目の「とつぜんの涙」について少し話そう。

一条シン君がOver the Sunshine!をステージで歌い始めたとき、私の心境はぶっちゃけ「いったい何が始まるんです?」というかんじだった。
だってさ、TVシリーズ時からいたオバレの三人についてはダイジェストがあったとはいえ、ほぼ予習なしで15人超のキャラをぶつけられてしかも中心グループはいきなり解散して悲しいって言われても……なんというか、わからないんだよ!!とくに私はアイドル業界とかにハマったことがないから本当にわからないんだ!

そんなわけで、いまいちシン君が何をしようとしているのかがステージが始まってもわからず、ヒロとカヅキがステージに再登場してもわからず、私は「ヒロ様のお目々は綺麗だなあ」と思いながらスクリーンをながめていた。

なのに、シン君が「プリズムラーーーーップ!」と叫んでステージから飛び降り、客席間を走り抜けていくのに合わせてファンたちのサイリウムが絨毯のように点灯していくのをみたら、こう、鳥肌が立って勝手に目は見開かれ、胸が締め付けられるのを感じた。なにか美しいことが起きているという直感があった。

畳みかけるように「未成年の主張」が始まり、次々に切り替わるプリズムスタァらしき知らない女の子たちのステージ映像をバックに、シン君から
「皆さんは覚えていますか?はじめてプリズムショーを観たときのことを!」
と語りかけられて……いきなり、目から涙がこぼれ落ちた(今でも思い出すとちょっと泣きそうになる)。

びっくりした。先ほども言った通り、私がプリズムショーを観るのはその日がはじめてだ。
けれど私は、自分がはじめてミュージカルを観たときのことを思い出していた。私がこれまで二十数年大好きでいつづけたエンターテイメントとの出会い、そのときの感激を、ダイレクトに追体験させられた。泣かないほうがおかしい。
懐かしさと愛おしさで、頭がおかしくなりそうだった。

いまでも、どうしてあんなふうになったのかわからない。だが、ネットでの感想を観る限り私だけの現象というわけでもなさそうだ。

(どこかブログにほぼ同体験をした方の感想をみたのだが、探し出せない……!)

 

なんかわからん理由でボロ泣きさせられ、それはそれとしてラストの「グローリアス・シュワルツ!」×3で最後まで笑わされ、エンディング曲のドラマチックLOVEに浸って劇場をでた私は……。
とりあえず2日後の応援上映のチケットを抑え、アマゾンでキンブレと黄色い薔薇の造花をポチった。


その後、ひとりで応援上映3回(うち1回は4DX)、友人と通常上映1回、友人と応援上映1回をキメた。さらに一度目の応援上映のあと、スピンオフ元であるプリリズRLでヒロが出ている回を全部見て、挙句「ヒロを理解するには蓮城寺べる(主人公のライバル)を理解する必要がある」という結論に達して結局51話全部観た。最終的にヒロべる小説を書くに至った。狂乱の冬だった。 

「薔薇を慕いて【ヒロべる】」/「ハリハリ@ピカボ3出ます」の小説 [pixiv]

 

 

 

以上が私とキンプリの思い出だ。
あの日、通常上映で一人でキンプリを観に行った私を心から称えたい。プリズムショーはなんて素晴らしいんだ。

 

さて、来る6月10日(土)から、キンプリの最新作が上映開始となる。

 

細部タイトルは「PRIDE the HERO」。つまり……

ヒロ様回である!!


近いうちに、私の最推し速水ヒロの魅力について語るエントリをあげる予定だ。速水ヒロはいいぞ。